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皆さん、おはようございます。
今回は、このようなカルメンを作ろうと思うに至った、
私についての背景をご説明したいと思います。
もともと、私はこの背景を自覚していませんでした。
こういうカルメンを作りたい、という希望を友人に説明する中で、
ふと気が付いた背景でした。
話は2002年頃に遡ります。
私は一人の風俗嬢と出会いました。
とはいえ、私が客という立場で出会ったわけではありません。
ネット上で、私が新進声楽家、そして彼女・・Eちゃんが
声楽を学ぶ高校終わり、そしてある音楽学部へ進学、
という関係で出会ったのです。
Eちゃんと初めて顔を合わせたのは、
私の出たコンサートに来てくれた時。
打ち上げに同席し、
発声に悩んでいた彼女を私の友人に紹介し、
その友人が彼女の発声の師匠となりました。
風俗嬢をやっていた経験があると聞いてはいましたが、
その打ち上げの席で感じたのは何かというと、
私の隣で、料理を取り分けてくれたりと、
世話を焼いてくれたのですが、
妙に男をとろけさせるようなオーラを発することでした。
上記のような年齢の女性がそんなオーラを発している・・。
そこに私は、彼女の精神の深淵を垣間見たのです。
私自身、その頃は女性経験もなかったし、
こんな子に精神をやられてはたまったものではない、と
直接的な接触は避けるようにしました。
ちなみにその時点では、彼女は風俗ではなく、
キャバクラ嬢をしていたようです。
彼女が大学生活を続けてしばらく、
どうやらその頃にはソープランドで働いている、
という情報が耳に入ってきました。
彼女自身、私にそれを隠し立てする風もなく、
彼女の声楽学生Eちゃん、というスタンスでのホームページと、
ソープ嬢何とかちゃん、というスタンスのホームページと、
両方教えられて閲覧するようになりました。
ソープ嬢の方の日記を読んでいて思ったのは、
一体どれだけ精神が荒んでいくのか、ということです。
仕事の感想でしかなかったものが、
いつの間にか、客の品評になっていきました。
例えばあるお客の風貌をこう表現していました。
「中尾彬と喪黒福造を足して2で割ったような」
想像しやすい表現なのですが、
その裏で感じたのは、
女性の目から見て、好感の持てない風貌である、
ということです。
そのうち、同性愛傾向が出てきたかと思えば、
黒人男性にナンパされてついていき、
激しくやりまくった、というような話まで出てきました。
一方、客の品評は続き、
客の一挙手一投足、一言をつかまえては、
ボロクソにけなしてツッコミを入れていました。
これらを読んで私がどうなったかといえば、
「風俗には行きたくない」
こうなってしまいました。
ひょっとすると自分をこんな風に思っているかもしれない女性を、
とてもじゃないけどお金出して抱く気にはなれないものです。
後年、こんなことを思われないような客であればよい、
という簡単なことに気付くのですが、
その時はとてもじゃないけど、風俗に行ってみたい、
などと思える状態ではありませんでした。
彼女がなぜ風俗嬢をしていたか、ということですが、
学費を稼ぐため、レッスン代を捻出するため、でした。
彼女は実は、在日韓国人だったのです。
韓国は基本、儒教の国です。
そうでない家もままあるとは思いますが、
どうやら彼女の家は儒教がきつい家だったようです。
となると、・・彼女には弟がいまして、これが長男・・
女はどうでも良くて大事なのは男、それも長男、
ということに相成ります。
音楽を勉強する費用をちゃんと出せてもらえず、
そんな金があれば弟の教育費に回す、
という家だったそうです。
音楽の勉強は何かと金がかかり、時間も必要です。
となれば、効率よく稼ぐには風俗しかない、
というのが、彼女の状況における唯一の道だったわけですね。
こんなに精神が荒むようなストレスを受けていること自体、
風俗が基本的に向いていない証拠だと思います。
しかし、それ以外に道がみつからない。
そして精神がやられていき、薬は重くなっていく。
こんなのは悲惨です。
結果、リタリンの飲み過ぎで彼女は還らぬ人となりました。
演じることを楽しみにしていた学生オペラに、
とうとう参加することはできませんでした。
私はこんな状況を目の当たりにしても、
風俗という仕事そのものを否定する気にはなりません。
今はもちろんのこと、当時もそうでした。
しかし、あってはならないと思うことがあります。
それは、向いてない子が、せざるを得ないようになること。
ましてやそれが、貧困の為せる業ならばまだしも、
親の勝手な思い込みや方針のため、
しかもそれが儒教というイデオロギーのため、
そんな悲しいことがあってはならないと思いました。
私は知らず知らずのうちに、
彼女の悲惨な終わり方を心のどこかで背負っていたのでしょう。
この悲惨さを何らかの形にすることを望んでいたのでしょう。
2年前の春、ほわっとでカルメンの指揮をしたことで、
作品とEちゃんが結びついていたのでしょう。
そう、私の演出するカルメンのモデルは、
間違いなくこのEちゃんがベースになっています。
次回は、もう一つの風俗嬢オペラについて話を致しましょう。