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ポートレートフォトグラファーの登竜門の
「ポートレート専科2014」の会場に被写体として写っている作品を拝見にいき
モデルとしては完全にアマチュアな私(非常に撮影しにくいだろうと自覚している)は、展示された自分の姿に不思議な感覚を覚えました。
そもそも、ポートレートモデルをやってみたい!と思ったきっかけというのが
美しい自然や日常や人間を被写体とした写真を観るのが好きなだけだったのが
「私は人の目からどのような人間に映っているのだろう?」と疑問に感じるお年頃になったからでした。
「撮影されたい」というより、写真というものは真実を正直に写すものだと信じていたので、
ファインダー越しに見える私は私そのもので、綺麗に写して!より、私の根暗だったり寂しさや偏屈な性格を全部写真で見てみたいという完全なエゴでした。
フォトグラファーからすると「美しいものを残したい」ので、この子綺麗に写りたくないのかな?なぜ笑顔にならないんだろう、どうして撮影されたいんだろうと不思議に思われたかと思います。
当時は、申し訳ないくらい困惑させただろうな…と思います。
それが、ポートレートのあり方を被写体なりに考えるようになりました。
同じ感動や穏やかさを共有し、その空間を残したいからシャッターを切るのではないか、と勝手に想像しました。
私は極度の人見知りな上、コミュニケーション能力や表情が乏しく、他人をプライベートで楽しませることは苦手です。
ですが、何も話さなくても落ち着くな…と感じさせることはもしかしたらできるかもしれません。
そして、「なんなんだこの子?能面だけど何考えてるんだろ。」と思って下さった物好きな方は知ろうとしてくださるかもしれません。
作品を展示してくださった中野さんに初めて撮影していただいたのは23歳のときでした。
何百とシャッターを切ったあとに「君はどうしたら笑顔になるの?」と呆れられたのを覚えています。
尖って「お酒を飲んで下ネタを言っていれば、表情も穏やかに開放的になります」と答えたら本当にワインを飲まされたのでした。
今、私は27歳で今回の作品は久々なポートレート撮影だったのですが…
撮影前に「人間性を風景と投影させたものを撮影してほしい」とわがままをいいました。
私は役者や表現者をやっているけど、
ポートレートに関しては明るいハツラツとした美人を演じることに嫌悪感を感じるのです。それは演じた誰かであって私自身ではないからです。
「君はそのままで無表情でいいんだ」と中野さんからは絶対きくことのなかった答えをいただきました。
暗い冷たい3月の逗子海岸
孤独感だったり野望だったり複雑な気持ちが大きな波と共に映ったものが一枚でもあれば嬉しいなと思っていました。
その中の一枚を選んでくださいました。