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2014/05/31

ジャズスタンダード、とよばれるものには
映画音楽やポップスから派生したもの、ジャズマンがジャズとして
作ったもの、など色々ありますが、大半は歌詞が付いていて
歌われることも多いです。インスト(楽器のみの曲)で作られた
ものにも後から歌詞がつけられて歌われるものも多いです。
それだけ「歌」というものが親しみやすく、また聴き手にも求められて
いるものだ、という証拠でしょう。

ボーカルがいない楽器だけのライブでも、もちろんそれらの
スタンダードが演奏されるわけですが、このとき、楽器奏者は
その曲の歌詞を知っている必要があるか???これは楽器奏者にとって
必ず考える命題だと思います。

ある人は「歌詞をしらない曲は演奏すべきではない」とまで言い切るし
ある人は「歌詞なんて演奏の邪魔になるだけだ」と言い切る。
(ちなみにこの二人、世界的に有名なミュージシャンですが、正反対の
この二人が一緒のバンドで演奏したりしているところがまた面白いところ)

私は、、というと、、、たとえば演奏する時にMCで「○○という曲を演奏します」
というだけではつまらないな、と。一応どういう由来で作られているか、
作者のどういう想いがこめられているか、これは歌詞がついていようが
いまいが調べて演奏するようにしています。それを踏まえた上で、関係ない、
と思い切ってまったく別のイマジネーションの世界に飛び立つのもアリ
だと思います。歌詞の世界や作者の想いから自由になって演奏できる
ところもまた楽器演奏の楽しいところだと思うからです。もちろん、歌詞の
内容や作者の想いに触れてより深くその曲が好きになることもあります。

歌詞の内容を知ることは、楽器を演奏する際の情感の入れ方に違いが生じる
だけでなく、メロディーの節回しにも違いが生まれてきます。歌詞の通りと
考えると、言葉が当てはまるようなメロディー表現になるだろうし、歌詞と
関係なくその楽器の特性に合わせた歌い方もできます。どちらがよいとは
一概にいえません。声や管楽器は「伸ばしながら強くする」ということも
できますが、ピアノではできませんから、ピアノ特有の節回しというものも
あると思います。

つい先日、ボサノバの「イパネマの娘」をピアノで演奏しました。真正面
からピアノでこの曲のメロディーを奏でる、というのはありそうであまり
なかったのですが、ふと気がついたのです。この曲は「ポルトガル語」と
「英語」の2つの歌詞がありまして、ボーカルの方もどちらを歌うか
分かれるところです。両方歌う方もいます。きちんとは覚えていませんが、
ずっと伴奏をしているとだいたい両方の歌詞を覚えてきます。そこで
どちらの言語の歌詞を思い浮かべながら弾くか、でメロディーの節回しも
リズムもノリも、ぜんぜん違うことに気がつきました。その言語が持つ
リズム、というものがあるんですね。もちろんその二つとも無視して
インストとしてメロディーを奏でることも可能です。

結局結論はどうなんだ、ということなのですが、楽器は色々選べてより
自由に演奏できるからそれも楽しいな、個性の現れるところなのだな、
ということなのです(笑)

2014/05/31 05:30 | toyama | No Comments