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2014/05/29

こんにちは。根本齒科室の根本です。

先日の水曜日、母と品川で会食する機会がありました。
たまたまですが、母の東京への用事が水曜日にあり、休診日と重なりました。そこで、「ランチをして、近くの庭園を散策しよう」ということになり、待ち合わせました。

どこにするか迷いましたが、糖質制限中なのでバイキングがいいかな、と思ました。

バイキングこそ、糖質制限の力強い味方です。

主食や炭水化物系は選ばないようにして、肉や魚、野菜などを腹いっぱい食べられます。それこそ元を取らないとと、すごい勢いで食べました。その後、高輪プリンスホテルの日本庭園を見た後、目白の八芳園まで「徒歩で」ずいぶんアクティブに強行しました。

重いおなか(1キロ以上入っていたかも)を支えながらの散策でしたが、日本庭園に行くのには高輪プリンスの高級ラウンジ「さくら」を通り抜けていかなければなりません。
そこをリュック姿で通るときには、さすがに緊張して背筋が少し伸びました。

「歩数を稼ぎたい」万歩計を忘れてきたと言って悔しがる母の元気さの元も、いわゆるプチ糖質制限(夕食の主食を抜く)です。さすがに八芳園からの帰りはバスでしたが。

◆ 黒引きと中村勘三郎

八芳園の庭園では、結婚式のカップルがいました。

「壷中庵(こちゅうあん)」という、芝生の中にあるこじんまりとした離れ風の屋敷で行ったような感じです。
女性がすその長い白いドレスを着て庭園内の芝生を歩いていて、親族と思しき方々もお供していましたので、ああ、結婚式なんだなと分かりました。

なんとなくドレスを着ている女性がいて、そのソバにシルバーのスーツとか、羽二重の黒紋付に仙台平の袴の若い男性がお供しているような場合、何となく(結婚かな?)と思うものです。ネクタイでもそうですが、慶事は白、弔事は黒、というのが「古今東西」そうに決まってると私たちは思っています。

が、実態はずっと反対でした。

◇ 喪服は白???

日本の代表的な花嫁衣裳に「引き+角隠し」という振袖姿があります。これは伝統的に武家の嫁入りの代表的な衣装だと説明されています。
また現在の黒引きは訪問着風のような全身的な絵羽模様が主流ですが、本来の「黒(のお)引き(ずり振袖)」の上半身部分には五つ紋が入っています。まあ武家だから当然ですけど。


(札幌の着物屋さんの「採古堂」様のブログのお写真です)

この家紋も、関東では嫁ぎ先の紋、関西では「女紋」といって、代々女系に引き継がれる紋を入れるなどの違いがある点も興味深いです。

そして五つ紋の黒引きは、結婚後はそのまま裾などを補修して「黒留袖」として着ることができる、というのも合理的です。

もうひとつ結婚式で有名なので「白無垢+綿帽子→色打掛」というパターンもあります。現在では日本の伝統的な嫁入りといえばこちらのほうを指すことが多いでしょう。
この白無垢は、現代風に、おめでたいから白、とか、嫁ぎ先の色に染まるために白、と説明されることが一般的に多いですし、誰も何の疑問も持たないことでしょう。

しかし白無垢には意外な事実がありました。
いろいろなことを言う方がありますが、私が今まで見てきた説明で、一番しっくりきたのは、こうです。

これは角隠しにも同じ意味があるのですが、日本の旧来の嫁入りと言うのは、概念的にいったん嫁ぎ元の家を出るときに「死んで」、嫁ぎ先の家であらたに「生まれ」変わることを意味していたようなのです。

もちろん、挙式には「角隠し」「白無垢」で臨み、披露宴では角隠しを外したり色内掛けを羽織ったりするわけですが、この「角」というのはまさしく「鬼の角」であり、「白」装束はまさに「死」装束です。これらはどちらも、一旦死んで、まだ再び生まれ変わる前の「あの世の者」を象徴するアイテムですね。

 えっ、挙式中~披露宴前の状況の花嫁は、霊だった?!

昔は一般的に、挙式直後に白無垢のままで嫁ぎ先の仏壇参りや墓参りを行っていましたが、あの状態はまさしく死後~誕生直前の、まだこの世に出てきていない霊(=魂)として、死後の世界の象徴である仏壇や墓に仲間入りをすることで、嫁ぎ先の嫁として「生まれ変わる」ことができる、なんだそうです。

挙式をして、嫁ぎ先の家に入ると「再」「生」しますので、「角」「死装束」のようなあの世を象徴するアイテムが取れることで再生を表現します。「角」が取れた「鬼(=霊)」は再び人間になったことを表し、白無垢の「死装束」の者はその上に「(赤)色打掛」という血液や生命をつかさどる色をまとうことにより、こちらも人間になったことを表している、という話です。

披露宴になると角隠しは外し、白無垢には色打掛を羽織るのはこんな理由からです。
昔は実際に、使用した白無垢を袖を詰めてそのまま喪服として使用し、最後は自らの死装束として使用したとも言われています。

これらは一見、荒唐無稽に思われるかもしれません。
ですが、もともとわが国では、服に限らず、色そのものが非常に大きな意味やメッセージ性を持っていました。ちなみに、白があの世の色であることはご案内のとおりですが、じつは、黒と言うのは日本では伝統的に大変おめでたい色(宮中を除く)なのです。

“だから花嫁衣裳には、とくに由緒正しい武家などの家柄ほど黒引きが好まれ、親族は必ず五つ紋の黒紋付羽織袴か黒留袖(既婚者)を着て出てくる。”

この説を信じたくなる出来事がありました。
故、中村勘三郎(高麗屋)の葬儀です。

TVの中継画面を見て「えっ!白い喪服なんてあったんだ!」と驚かれた方も多かったのではないでしょうか。
ご覧になっていない方は、「中村勘三郎 喪服」で画像検索してみて下さい。

◇ 喪服の”流行り”

私はTVは見ておらず、今回の件でたまたまネットをいろいろ見ていたら、そういう画像を発見して驚きました。そして少し調べてみたら、日本の喪服はやはり、有史以来、明治時代まで基本的にずっと白だったそうです。

平安時代に一部の貴族が裕福な貴族が、黒い喪服を着たりしたこともあったとされていますが、その他のほとんどの時代は、喪服=白で来ています。

喪服の黒は、明治時代に英昭皇太后(孝明天皇の正妻、明治天皇の皇太后;1835~1897)の葬儀のときに、外国人に変に思われないように、真似をして黒の喪服を使うようにお達しを出したたことがきっかけだったようです。
その後、戦争などで死者の数が増えていったときに、喪服の貸衣装屋さんが、手入れの面倒な白より、汚れが目立たない黒が管理が楽だ、ということで、喪服の黒が定着していった、などというウソのようなホントの話があります。

「喪服が白」というと驚きますが、これは日本だけでなく、中国や韓国を含め、アジア圏は大体喪服は伝統的に白でした(朝鮮半島では服を染める習慣がなかったので普段から白が一般的だったとのこと)。今でも一部北陸地方では、喪主が白い裃を着たりする風習が残っているようです。

そして白の喪服は、遺族が、まさに「喪が明けるまで」着用するものでした。弔問客が着る物ではありません。通常弔問客は、華美にならない平服でのお参りが一般的でした。

いっぽう、わが国での花嫁衣裳の服の色の意味は上記に述べたとおりですが、たまたま西洋でも挙式のときに白のウエディングドレスが流行するきっかけがありました。
それはビクトリア女王(1837~1901)です。

こういう礼服系の流行が、洋の東西を問わず、皇室や王室から発信されていたというのも興味深い話です。

ビクトリア女王が白い色のウエディングドレスを着用するまでは、挙式にはお嫁さんは華やかな色彩のドレスで臨むのが一般的でした。その後、第一次・第二次大戦中の時期に、白のウエディングドレスが急速に普及していったとのことです。

喪服の話から分かることは、私たちの常識の根本の部分が、事実や正統性と、見事なまでに正反対になっていることも少なくない、ということです。

もちろんだからといって、明日から急に、結婚式のネクタイを黒、葬式のネクタイを白、というわけにもいきませんが・・・

◆ 糖質制限2か月たちました。が…

さて、自己流の糖質制限を始めて2ヶ月弱くらい経ちます。もっとかな。

残念ながら今のところ、肝心の体重がなかなか減らないのですよorz
(飲みすぎ食べすぎ)1日25度の焼酎を2~3合(アルコール換算90~135g)飲んでいて、唐揚げ10個とかモモ1.5枚とか食べてれば、無理。
酒は大丈夫と夏井先生が言っていたので油断したら、一回通風発作が出ました。(しかもアキレス腱に)

そこで、ついに、先日酒も辞めてしまいましたwww
今は、夜は酒の代わりに「三ツ矢サイダーオールゼロ」を飲むようにしています。

ただ、最近は食に対する執着は、それでもかなり薄れてきた感じです。何となく1日1~2食が定着。それほどおなかがすきません。
強くおなかが減らないし、ちょっと減ったなぁと思っても、ナッツや卵スープなどを口にするとすっと空腹感がおさまってきます。
ナッツはジャイアントコーン(糖質の塊)の入っていない3種~4種の奴がお気に入りです。あとピスタチオも旨いんですよね!これは再発見って感じです。

ただ、経験上、ツマミで何かを食べていると、食べようと思うと結構食べられてしまう。
ついつい惰性で食べ過ぎてしまうんだろうと思いますが、一袋300円のナッツがいきなり空いちゃったりとか、たまにですがしてました。
元々が食い意地の張った人間だった習性が残っているんでしょうか。ヤダヤダ。

私が子供の頃は、父もよく「たまにはドカ喰いして、胃を広げておかないとダメだ」みたいなことを言っていたし、食事と言えば一回の飯で土鍋で1合~1合半炊いた米に「○○(生卵だったり麻婆豆腐だったりレトルトカレーだったりその時によって変わる)」をかけて直接喰っていたことが多かった数年前のクセがまだ残っているのか。。

なので、減量を優先するために、有酸素運動にも手を出してしまいました。
これでは糖質制限の真の効果が分からなくなってしまいます。でも併用のほうが早いっちゃ早いですよね。。

△炭水化物をとらないと、眠くならない
△炭水化物をとらないと、2日酔いしない

以外に、ひとつ、発見がありました。

△プラークが明らかに減少。

歯みがきしないで寝ても、次の日の朝ほとんどついていないんです。
今までだったら、酔っぱらってそのまま寝てしまった次の日の朝は、舌でなでると歯がネトネトして気持ち悪かったのですが、それがないんです。

さっぱり過ぎて、ついつい歯みがきを忘れてしまったことも何回もありました。。

その他
「白髪が減る」
ポツポツ生えている白髪は、夏井先生のHPによれば、減り始めることになっているはずなのですが、まだ減らないwww

ついでに興味本位で温水洗髪と温水洗顔も始めてみましたが、顔を近づけたら若干汗臭い匂いがすると指摘されて、即中止しました。
こちらには、夏井先生のHPによれば、薄毛の男性のかなりの方にとって発毛効果があるらしいですよ。

◆ アンチの糖質制限早死に論はムチャクチャ>

昨今の糖質制限をめぐる議論は、反対派(カロリー制限(高糖質食)派)が少しヤキが回ってきた感じがします。
それは、極論を持ち出すことによって、反対派や他人を脅かすようになってきたからです。「早死にする」「ガンになる」「おしまいだ」「女性は極端に痩せる」「生理が止まる」「不妊になる」「各種婦人病になる」などという言葉を使うようになっては、まさに「おしまいだ」と思います。

ただ、「長生き」を真面目に考えてみると、そのためには、タンパク質の摂取については必ずしも「肉食万歳」だけでは片手落ちのような気もしています。

肉食は発ガン性が上がる、などといっている人たちもいて、単純に信じるわけではないが、ネコ科に代表されるの肉食動物はそもそも寿命が短いので、ガンになってるかなってないか分からないうちに死んでしまいます。

だから肉食偏重が発がん性に影響を与えるかどうかは分からない。
でも、人間の腸は草食動物に比べて明らかに短く、セルロース分解酵素や分解システムを持っていないので、本来人間は肉食中心であった、という説明は非常に合理的です。
これに引き換え、ウシが反芻して草を食べるので非常に大きな胃と腸を持っていて、しかも分解産物が糖ではなく脂肪酸(カルボン酸)の形になって吸収されていた、というのも、人間が本来草食に適していないことのひとつの傍証です。

イチローだってすごい偏食は有名ですが、あれだけ大活躍していますし。

とりあえず70年以上生きる動物を考えるとしたら、一部のカメ(肉食系雑食)、オウム(草食系雑食)、などでしょうかね。彼らは完全な肉食でもなければ、完全な草食でもない、いわば雑食です。
そして、もちろん野生にいる動物なので、穀類(炭水化物)を口にすることはありません。

だから彼らを真似て雑食系の糖質制限がいいのかな?などと今は考えています。

70年以上生きる肉食動物に発ガンが見られないのなら、肉食オンリーの安全については、非常に良いエビデンスになるのですが、肉好き(とくに豚の脂身は目がない)の自分にとっては気がかりです。
(まあ魚も大豆も大好きですよ。なお背骨のない海産物(貝類、なまこなど)は苦手な模様)

こんな話も「人類のみが炭水化物(穀物)に支配されている」ひとつの傍証かもしれないですね。

それにしても、穀物が本当に人類を支配・操作しているのでしょうか?
花(花弁)が虫を利用して、蜜を与える代わりに受粉をさせるシーンが思い出されます。
また「ニモ」でおなじみのクマノミとイソギンチャクの共生関係もそうですね。

ただ、穀物の場合は、花弁やイソギンチャクのように一部だけ与えるのではなく、自分が完全に刈り取られて死んでしまっています。

にもかかわらず、人間は後生大事に穀物を育て続けているようです。
世代を超えて、人類を縛り付けている、とも考えられませんか?

たしかに穀物というか炭水化物は、人類以外では、スズメとかネズミのような特殊な生物しか基本的に口にしていません。

穀物のおかげで人口が急増することができたし、耕作から文明も生まれました。
そのかわり、自由な時間を失われ、メタボや成人病に苦しみ、その血糖値の乱高下による空腹感が嗜好性、ならびに耽溺性を生み出しているのも、また一面の事実です。

しかも人間は元来肉食動物の内臓をしていて、セルロースを分解できない。

さらに、糖質(炭水化物)を処理(血糖値を下げる)できるのはすい臓のランゲルハンス島β細胞から出るインスリンしかないのに、血糖値を上げるホルモンはたくさんある。

こんなに自分の体に合っていない、ほとんど異物に近い「糖質」を、世の東西を通じて長年取り続けてきた人類って、不思議ですね。

◆ 穀物と禁煙

私たちは基本的に、文明は天然自然に存在し、よいものだとばかり思ってきたと思います。
しかし、功罪両面があるのもまたよく理解しています。

これをもとに、ただちにスローライフとか文明を捨てて自然に生きろとか、脱原発で自然エネルギーに生きてプロペラで鳥を狩りまくれとか言うつもりもありません。

しかし、既得権益なんて単語ができてしまっていると言うことは、人類史上を通じてみると、それだけ文明の副作用も大きくなってきているのかもしれません。

そういう積もり積もった既得権益なんてものに、つい甘えて依存してしまい、あまりそのことについて考えをめぐらせられなくなってしまうのも人間の弱さかもしれません。自分で造ったものに自分で飲み込まれてしまう。

たとえば、せっかく「糖質制限を始めよう」と思ったとしても

 「コメは日本の文化伝統だ」
  「三大栄養素の筆頭だ」
   「コメを食べないと力が出ない」

という社会、知人、職場などのコミュニティー、そして家族がどっぷり首までつかってしまっている中では、なかなか自分ひとりだけ頑張ろうと思っても辛いかもしれないですよね。。。とくに同調圧力の強い日本では。
それでも、仮にも民主主義国家の国民であるなら、自分ひとりでも頑張らなければいけないときは頑張る、というのが最低限の責務だと思います(独裁国の人民なら別)。

これは糖質制限だけではなく、何事にも当てはまります。
たとえば「禁煙」も、最初はそんな感じだったと思うんです。

昭和時代は、国電(山手線、京浜東北線など)は別にしても、特急急行は当然ながら、東海道線や常磐線などの近郊型電車の鈍行(111系、401系など)にも、どこでも灰皿はついていたものです。「カタン」とフタを回転させて吸殻を中に落とし、「カタン」と胴体を回転させてたまった吸殻を捨てる。マークも懐かしい灰皿は、昭和の、私の幼少時の、よき思い出です。

そのうち禁煙車ができました。私が小学校の頃です。しかし、そんなのは東海道新幹線でも16両のうち1~2両だけでした。
今となっては、喫煙車の方が15号車だけじゃないですか(N700系にいたっては、15号車のデッキに喫煙コーナーがあるだけで座席そのものは禁煙)www

専売公社といえば絵に描いたような親方日の丸です。
ですが、禁煙だって、既得権益に負けずに、やろうと思えばできるんです。

将来、必ず、糖質や糖について、そのような健康問題が国民的に提起される日が来るでしょう。透析患者の集団訴訟を予想する方も医療界の中で少なくないようです。

そのときは歯科も黙んまりを決め込んで入られません。

◆ じいじと、ばあば

私は今でもいつも思っていることがあります。
それは仕事で働いている両親が、祖父母に子供を預けるときのことです。

患者様などを見ていても、子供がぐずるからと言って、すぐに飴玉などをあげてしまうじいじやばあばが本当に多いんです。
じいじやばあばも、悪気があってではないと思うんですが、いくら両親が歯に気を使っても、これでは子供の歯がボロボロになってしまいます。

一刻も早く、日本の製菓会社は、チョコ、飴、ガム、キャラメル、ラムネ、ジュースなどの甘い系の駄菓子に幅広く「ショ糖フリー」のラインナップを大幅に広げるべきだと思っています。

一案ですが、そのような「ショ糖フリー」の菓子には、専用のマーク「○○マーク」などを入れて、プレミアムブランド化していけば、消費者も分かりやすいでしょう。
たとえば「JBマーク」(じいじのJとばあばのB wwwwww )などというのはどうでしょう。

まったく世の高齢者に袋叩きに合いそうな話ではありますが、歯医者の発想としては当然そうなります。
そうすると、やっぱり「糖業協会(既得権益)」とかが横槍を入れてくるのだろうか。

でも、歯医者としては「お孫さんにお菓子を上げるときは、JBマークのある奴にして下さいね」とかって説明できるなら、これほど気が楽なこともありません。。

糖質制限については、もう少し続きます。


【今回のまとめ】糖質制限を通じて、さまざまな常識のウソが見えてくる。喪服は白?!

2014/05/29 11:17 | nemoto | No Comments