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皆さん、おはようございます。
先日見たオペラでの一幕をお話ししましょう。
舞台は大阪音楽大学、オペラ研究部の公演。
演目は「皇帝ティートの慈悲」でした。
このオペラ、惚れた晴れたはあまりメインではありません。
ドラマティックな展開が繰り広げられるわけでもありません。
ことのついでながら申せば、
大学生がやっていることなので、
すべてのクオリティが万全であるわけもありません。
それでも結果的にはボロボロ泣いていた、
というのが実態でした。
確かにこのオペラは私には思い出深いというか、
2度もティートを演じたオペラです。
そのうち1度は、指揮・演出も兼ねてましたから、
身に染みているオペラであることは確かです。
でも、泣くようなオペラではなかったものです。
しかしながら、泣いていた・・・。
コジの威力を思い知った公演でした。
モーツァルト音楽の受容態勢が、
抜本的に変わってしまっていることを、
この公演が思い知らせてくれました。
かなりロマンティックな受け止め方をするようになったのです。
いわば、モーツァルトの細やかな筆致を、
今までよりも多く掬い取れる能力が具足された、
というところでしょうかね。
音楽の全てが心の襞に触れ、刺激し、
私の感情を揺り動かしてくるのです。
コジは私が、個人的な感情をすべて織り込み、
命も名誉もすべて振り捨て、
あらゆるデメリットも甘受して作り上げた作品です。
その裏事情に至るまで、知っている人は知っていますが、
いくら本番で素晴らしい結果を得られたからといって、
すべての傷が癒され、完治したわけではありません。
ちょっとした文字情報で揺れてしまうのが現実の心というものです。
そんな痛々しい心であっても、
だからこそ到達できる境地というものがあるようです。
それがこの境地。
これから、モーツァルトのオペラについては、
来年のフィガロを皮切りに、
見直し、練り直しを進めていきたいと考えています。
以下、ティート、ドン・ジョヴァンニあたりが
そのターゲットになるでしょうか。
おそらく大半の作品は、
これまでほど尖がった作りにはならないと思います。
数年がかりの大仕事ですので、
気長にお付き合い願えたらと思います。