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2014/04/29

皆さん、おはようございます。
トスカの登場人物の中で、主要な3人について、
その人物像を申し述べてみます。

単純な善人、悪人という捉え方ではないため、
不快に思われる向きもあろうかとは思いますが、
私がこの作品を読み込んだ印象はこのようなものでした。
原作者サルドゥやプッチーニにそんな意図はなかったでしょうが、
今の日本に生きる私から見ると、
当時のキリスト教国家批判のネタになるようなことが
結構満載な作品なのです。

まあ、あの時代という設定の悲劇って、
結局そこらへんが背景になってしまうんですが。
そして、それは時代や洋の東西を問わない、
カルト集団に対する批判にもなるわけです。

スカルピア

イメージとしては、服装も含めて半沢直樹で出て来た黒崎。
ただし、おかまっ気は8割ダウンし、
ひょっとしたらその気もある?という疑惑がうっすら漂う程度。
要は、男っぽいいかつさではなく、
しなやかで身のこなしは柔らかい。
容姿は良いが、怒っても笑ってもおすまししても、
目は絶対に笑っておらず、
しかもその目はねっとりと相手を絡みとっており、
粘着質で相手を不快感に陥れるため、
政治犯を捕え、拷問する手腕のみ高く評価されており、
それだけが命綱となっている。

容疑者の配偶者や恋人をレイプすることは
神からの報酬であると考えており、
かなり手前勝手なカルト的カトリック信者でありながら、
他者からは本当は神を信じてもいない偽善者であると思われているが、
本人は至って深く神を信仰している。

カヴァラドッシ

音楽家で言えば、ベートーヴェンになるだろうか。
共和制支持、ナポレオン支持であるが、
自分が一般市民と平等だとはこれっぽっちも思っていない。
ベートーヴェンが自らの能力と仕事の神聖さゆえに
自らを貴族と見做していたように、
カヴァラドッシにもそうした自信ゆえの傲慢さがあり、
実際に貴族階級出身であることも、無意識で影響している。
堂守に対する態度はかなり酷いことがそれを証明している。

自らの使命や理想と恋人トスカを天秤にかければ、
明らかに使命や理想の方が重く、
それらが奪われて初めてトスカのことを考えることができる。
その時初めて自らの命を正面から捉えたのである。

衣装は白いシャツにチノパンやジーンズなどのラフなパンツ。
薄い、カーディガンなどの上着を羽織ってもよい。

トスカ

カルト集団の末端信者の要件を備えている。
刺激的な表現と思われるかもしれないが、
啓蒙思想に染まっていない当時の人間の大半は似たり寄ったりである。

山羊番という農民から修道女になったトスカに与えられた価値観は、
神を信じていれば良し、信じない者は救いなき悪、という二元論であった。
その二元論のもと、王権神授説を否定する革命派は、
絶対的悪である無神論に堕する一歩手前のように見えたことだろう。

こうした末端信者は、自らの感情を、
しばしば神の名の下に正当化する傾向がある。
トスカの場合、カヴァラドッシへの想いも、
神によって引き合わされたものと確信し、
彼を正しい信仰に引き戻すことができれば、
という願いにも彩られている。

従って、カヴァラドッシとの間に立ち塞がる者は、
無神論も同様の罰当たりと考えるため、
スカルピアについても、
彼が熱心な信者であるとは認識出来ていない。

トスカとスカルピア、両人の祈る姿を並べてみた時、
神を都合よく利用している信者の姿がわかることだろう。

2014/04/29 11:43 | bonchi | No Comments