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2014/04/30

先日、こんな記事がインターネットニュースに掲載された。

封建時代から一気に現代へ、ブータンを変える携帯電話
http://www.afpbb.com/articles/-/3013074

これについては、自身の研究対象にどストライクであったため、
何か物申すべき、と思ってあれこれ思案を巡らせてみたのだが、
まだまだ調査中で多くを語れないもどかしさもある。

あまり現段階で中途半端なことは言えないのだが、
過去に寄稿した文章で、このあたりに言及したものがあったので、
一部改訂を加えて転載してお茶を濁すことでご勘弁いただければと思う。


「ブータンの情報化」をテーマに研究をしている、という話をすると、
まず「どうしてそんな研究を?」という怪訝な顔をされることが多い。
「幸福の国」として語られることの多いブータンと、
「情報」という現代社会を象徴するような言葉とが、
上手く結びつかないのだろう。

たしかに、ブータンは近代化、特に先端技術を導入することに対して、
最大限の注意を払ってきた。
自然環境への負荷、伝統文化への浸食を最小限に抑えることが出来なければ、
経済的メリットを得られたとしても、結局は国民の幸福には繋がらない、
との考えからであった。
当然、情報化を進める上でも、慎重な政策が採られてきた。

かつて、ブータンの先代(第4代)国王は、
「欲望は人間が受け取る情報量と比例して増大する」と語ったという。
そこには、「情報」がもたらす影響力、
例えば、欲望を刺激され、過度の消費主義に走ってしまうことなどに、
強い警戒感を抱いていたことが伺える。
それは、「国民総幸福 (GNH=Gross National Happiness)」を提唱した、
先代国王自身にとって、最も恐れていた事態、と言える。

それでもなお、国家政策として情報化を推し進めなければならなかった、
その背景事情には、時を同じくして進行していた民主化への歩みが
大きく影響していると考えるのが妥当である。
「情報」が広く国民に開かれていることは、
「国民が、自らの良識に基づいた正しい判断を下す」ことを是とする
民主国家にとって、必須条件であったためだ。


このような経緯を経てブータン国民に与えられた「情報」は、
果たして彼らを「幸福」に導いているのだろうか。
学問的には、その問いに答えることは極めて難しい。
「情報」と「幸福」のあいだには、多くの間接的要因が折り重なっており、
その直接の因果関係を特定することはほぼ不可能に近い。

新しい「情報」、
例えば、隣国での生活の様子がテレビで紹介されることによって初めて、
自分たちの生活が相対化される。
つまり、彼らに比べて我々は貧しい、といった状況を認知することになる。

そのとき、人々の心に生まれるのは、憧憬や羨望だろうか。
そうしたプラスの感情が、ある種の原動力となって、
能動的に変わろうとするならば、
情報化はきっと国民を幸福へと導いていくだろう。
しかし、嫉妬や諦観に支配され、ネガティブな思考に囚われてしまえば、
その未来は決して明るくない。

「情報」そのものが善であったり悪であったりすることはなく、
全てはそれを受け取る人間の心一つ、ということになる。


さて、最後に一つ。

1960年代からはじまる、高度経済成長時代の日本。
その中に、工業化の次を見据え、技術革新によってもたらされる近未来社会、
「情報(化)社会」を夢想した先達がいた。

その中の一人、増田米二は、
情報(化)社会では、コンピュータが人間の知的労働を代替・増幅する、
という技術革新が、社会・経済構造だけではなく、
人々の価値観をも大きく変革することを予測した。

その一方で、彼の著書の中には、
情報社会の国民目標は「国民総充足 (Gross National Satisfaction) 」である、
という文言が出てくる。

工業化、情報化を経て、労働から解放された我々に待つのは、
生産力や効率性の高さを競い合うことではなく、
満たされた生活こそが、真に求める社会の姿になる、と予見したのだ。

当時の日本で、ブータンが提唱する「GNH」を紹介した文献等は皆無であり、
増田が、「GNH」という言葉を知っていた可能性は限りなく低い。
それでもなお、彼の提唱した「GNS」は「GNH」と驚くべき近似を示している。

この偉大な先達は、
「情報」に、満ち足りた未来(≒「幸福」な未来)を託したのだ。


GNH研究所 ニュースレター vol.7(2013年10月15日発行)より
※一部改訂

2014/04/30 12:00 | fujiwara | No Comments