暦は早「立春」を過ぎ、「雨水」、この谷間も今夜は春の雨に濡れています。雨音を聞きながら、そろそろ本格的に始まる畑での農作業に想いを馳せている、お百姓志望の川口巽次郎です。
今朝、「日生(ひなせ)の牡蠣を持って行くから一緒にお昼ご飯を食べに行っていいですか?」という突然のメッセージが飛び込んで来ました。出雲の焚火小屋のOさんと、倉敷の元南極越冬隊員、Hさん、お2人からの、嬉しいお誘いです。
勿論ですよ!と庭に常設している瓦のキッチン用のロケット・ストーブ(略して「ロケスト」)にいそいそと火を入れて、羽釜に湯を沸かしながら、畑で野菜を摘んでいると、やってきました!
日生の牡蠣!一斗缶に入って売られているのです。 100個は入っているのではないでしょうか?凄いインパクトです。
早速、ノブヒェン窯と我々が呼んでいる、簡易ですが大変な優れもののオーブンを瓦のロケストに載せて牡蠣を投入します。待つこと数分。牡蠣の殻が開いてジュースが鍋の中で焦げ付き始めるとオイスターソースのような濃厚な香りが辺りに漂い始めます。
ナイフを差し込んで貝柱を切り、蓋を外すとそこにはプリプリとしたアイボリー色の身が湯気をあげています。
因島で「自然農」での柑橘栽培に取り組んでいらっしゃる友人のいしくら自然農園さんのダイダイをギュッと搾っていただきます!
我が家の畑から採り立てのベローナのバラ色チコリに岡山菜、ルーコラの自家製ワインビネガードレシングのサラダが付け合せです。
続いてノブヒェンから羽釜に掛け替え、パスタを茹で、脇でパスタソースを温めます。
今日のソースは我が家のニンニクをたっぷりのエクストラ・バージン・オリーブ・オイルで弱火でじっくり、ぷくぷくときつね色になるまで温めて薫りを移し、そこにやはり我が家の人参と大根と、山で育てている原木栽培の半乾燥生椎茸の千切り、更に山東菜(中国白菜)、唐辛子少々を加えて蒸し煮にしたソースです。
断面がレンズ型をしたロングパスタ、リングィーネの茹で立て熱々をソースの入ったフライパンに投入。最後に畑脇の水路で成長を始めている芹(セリ)を一掴み混ぜ込んで戴きます!
いや、絶品でした。
食後はちょうど前日に石臼で挽いてあった大麦粉があったので、チャパティというか、がレットというか、を鉄板で焼いて、白下糖バター、いしくら自然農園さんの丸ごと温州ミカンジャム、オリーブオイルに塩、などで頂きました。
薬缶のお湯も沸いたので、紅茶を淹れてのんびりとした春の午後は過ぎて行きました。。。
友人たちをお見送りしてから、夕暮れ前に近隣の街の郵便局と種屋さんまで自転車でひとっ走り。用事を片付けて戻ると、ご飯を炊く用意が出来ていましたので、竈(ロケスト)の熾火を熾して牡蠣を蒸し焼きに。その剥き身を入れて土鍋で玄米牡蠣ご飯を。
やはり薪で炊いたご飯の美味しさは格別です。
何とも贅沢な1日になりました。
長々と食べ物の事ばかりを書きましたが、今日書きたかったのは、この食事の中身もさることながら、この豊かな食卓を整える為に使った燃料は、椎茸を栽培している山への往復の度に少しだけ拾っては持ち帰っている山の木々の小枝(所謂「柴(しば)」、おばあさんは川へ洗濯に、おじいさんは山へ柴刈りに、のあの柴です。)だけだった、という事です。
古瓦を積み上げただけの小さな竈、ロケストですが、それに鍋釜さえあれば、これだけの豊かさを、僅かの小枝を集めて来るだけで、友人と共に愉しむ事が出来る。
この小さな谷間でも自然のめぐみはそれ程に豊かです。
そして、この谷間以上に豊かな場所が、日本の至る所に今はまだ残されています。
何も遠い国で掘り出された石油やガスを、はるばる海を越えて運んで、加工して、更に全国に配る様な大事業を経ずとも、わたし達の暮らしを十二分に豊かに支えてくれるエネルギー、少なくとも、日々の食事を賄う為のそれは、全て、自然が用意してくれています。
況してや、原子力までも「活用」して支えなければならない「生活」なんて…。
そんな事を想った初春の宵でした。