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長いインド出張から帰ってきた夫。
ヨーロッパ旅行から帰ってきた私。
3,4週間ぶりに日本で落ち合った時、夫が「ネパール行こう!」と言い出した。
それから2週間後、ネパールに行った。
聖地ボダナートとヒマラヤを見たとき、「あぁーここのエネルギーに呼ばれたな」って思った。
ネパール行きの飛行機の中でふと思い出したことがあった。
小学生の頃、図書館で何度も借りた本があった。
「ネパールに流れた美しい水」という本で、ある写真家がネパールで井戸と小学校を作る話だった・・・と思う。
子供ながらに、ネパールの子供達の笑顔と私と違う国で大変な環境で過ごしている人がいるという衝撃を感じて、何度も同じ本を借りた。
カオス(混沌)なカトマンドゥからポカラへは、飛行機で30分、車で5時間。
ポカラはヒマラヤ登山の玄関口ということもあって、ポカラに泊まる軽装の人、私達のような軽いトレッキングをするバックパックの人、本格的な登山隊と様々な外国人がいる。
空気の悪いカトマンドゥとは違って気持ちのいいポカラ。
ポカラはいつもヒマラヤに守られている街。
この街からは、登山が禁止されている神の住む山・マチャプチャレが見える。
この辺りでは一番低い山だけど、圧倒的な存在感がある。
低いと言っても6,993 m。
7,900 m級のアンナプルナや8,100 m以上あるマナスルも見える。
ヒマラヤを見ると、3,776 mの富士山って小さいなって思ってしまう。
ポカラの街にはオシャレなホテルがいっぱいあって、意外にも快適なリゾートと言った感じ。
ヒマラヤに見守られながら、お庭でご飯食べるなんて夢みたいだった。
この街の人たちは、朝も昼も夜もヒマラヤを眺めて生きているだって思うとワクワクした。
年末年始ということもありお祭りをしていていつも以上に人がいたポカラ。
ここには、チベットを追われた人たちが住むチベット人の村がある。
「日本に生まれて、日本のパスポート持っていてあなたはラッキーね。私は、パスポートもなければ、帰る土地すらない。」
チベット人に話しかけられた夫はこう言われたそうだ。
たまたま恵まれた国に生まれ、たまたま恵まれた世代に育ち、たまたま満たされた環境にいる。
人はそれぞれ学びを持って地球にやってくるから、この境遇が私が選んだ学びの場所だけど・・・ここに生かされている意味というものを考えた瞬間だった。
久しぶりのバックパックだけど・・・実はトレッキング中はポーターさんに荷物を持ってもらったダメな私。
真っ青な空、温かな太陽、神々しいヒマラヤ。
もうこれだけで体中の細胞がうずうずしちゃくらい幸せだった。
こんな道を歩いていくと、やっぱりそこにも日常がある。
薪を拾って運ぶ人がいたり。
ヒマラヤ見ながら青空教室でお勉強している子供達がいたり。
「普通の日常」って言葉がふと頭をよぎった。
私達がゆっくり歩くこの道も、ヒマラヤが綺麗で立ち止まる場所も・・・
ここに住む人たちにとっては、ありふれた普通の日常。
私達観光客にとっては非日常の感動的な光景。
山の村の子供達にとっては、私達外国人は興味の対象だし、甘いお菓子とお金を持ってる人たちなわけで・・・遠い国からやってきた人たち。
世界って広くて、私の知らない人生がいっぱいあるなって何度も思った。
砂利や岩ばかりの道も地元の人はサンダルでスタスタ歩いていくわけで。
私達はトレッキングって呼ぶけど、彼らからしたら普通の道。
彼らは神の住む山々を眺め、祈り。
電気が一日に3時間ほどしか点かなくても気にしてない。
牛を育て、野菜を育て、籠を編み、服を織り・・・
山を見て祈り・・・
こうして山に守られながら人生をまっとうしていく。
前回の記事でも書いたけど、やっぱりここにも私達が失った「何か」が間違いなくあった。
当たり前だけど、山の中では自然に生かされ、自然と共に寄り添って生きる。
電気もない、野菜も自給自足、ミルクも育てている牛から頂く、暖房だってない。
ここには人としての生活が間違いなく存在してる。
泊まったエコビレッジは日本人が経営しているため、驚くほど美味しい日本食が食べられて、地酒も飲めて。
ヒマラヤ見ながら五右衛門風呂にも入れた。
お風呂に浸かりながら、「あぁ~人間ってなんて小さいんだろう」って思った。
そして私が見ている世界って何て小さくて、独りよがりなんだろうって思った。
カトマンドゥもそうだけど、ネパールは慢性的な電力不足。
電気がついたのは一日で数時間。
だから日中は太陽に感謝したし、
夜の闇がこんなに暗いんだって久しぶりに感じたし、
星ってこんなに見えるだって実感したし、
月明かりって明るいんだなって思った。
ヒマラヤを眺めながらヨガしたり、瞑想したり、のんびりしたり。
圧倒されるヒマラヤ見ながら、生きるってたぶんこういうことなんだろうって思った。
ここでは太陽が昇ることにたまらなく感謝したくなる。
オマーンの砂漠でキャンプした時も、朝が来ることに感動したなっ。
闇が終わり、遠くで犬の泣き声がしだして、空は段々とオレンジになる。
霧に包まれた眼下の街の向こうから太陽が顔を出す。
霧の上に太陽が昇り始め、空がオレンジ色に変化していく。
そしてその太陽に照らされてヒマラヤがオレンジ色に染まっていく。
雪山に太陽の光が反射する様子は、それはそれは感動的。
山に生かされ、大地の恵みに育まれ、祈りと共に生きていく。
地球と共に生きているこの土地の人々。
日々便利で物質的に満たされている世界で生活していると、これが当たり前になるし、「生きる」ということをおろそかにしてしまう。
私達人間は、学びのために地球にやってきて、宇宙に生かされている。
地球の声を聞き、宇宙のエネルギーに感謝し、魂としての学びに謙虚になろう。
ヒマラヤを眺めながらそんなことを感じた。