« 今年の絵以外のこと。 | Home | お久しぶりです。 »
早いもので今年もあと数日で終わりですね。
今年1年の「レインボーサポートネット」への相談状況を振り返ってみると、家族関係に関するご相談が多い1年でありました。
最高裁の「非嫡出子の相続分を嫡出子と同じくする判断」や「性同一性障害で女性から男性へ性別変更した方を父親と認める判断」に関する報道が大きくされたおかげもあるかもしれません。
『家族』というものの定義について、法的に揺れに揺れた1年でしたが、LGBTにとって、この家族定義の議論は、大変大きな関心をもってみるべきものであります。
日本は著しい少子化のために、従来の家族定義のままだと、少子化に歯止めをかけることができない恐れがあります。
多種多様な家族定義を認めることは、生殖医療の更なる発展を促すと共に、その利用の機会を増やし、新しい家族観によって、そこに迎え入れられるべき子供達の存在をおおいに肯定するものです。
旧来の保守的な家族観が間違っているわけでは決してありません。その家族観を基本としながらも、当事者の自由な選択によって、現代の生殖医療や将来の生殖医療が可能にするであろう子孫のもうけ方に光を当てる必要があるのです。
「子」を欲しいと願う誰もが、親としての義務を適正に果たすことを条件に、新しい家族を構成する自由を享受できる社会にすることで、我が国の少子化による国力低下を少しでも防ぐことができるのではないでしょうか?
具体的には、
- 生殖医療により誕生した子供の母性や父性を、生物学的観点からだけで判断せず、当該医療の受診者とそのパートナーを父母とすることを認める。(先の性同一性障害により性別変更した方の場合や、代理母や卵子提供によって誕生した子供の問題を解消できる)
- 同性婚制度を認め、生殖医療により子供が誕生した場合には、父又は母が2人存在するという状況を認める。(例えば、男性パートナー同士の子供の場合には、父が二人いる家庭となる)
- 特別養子縁組の制度について、その要件を緩和し、法的な実親効果の発生を促進していく。
このように提言すると、家族観というのは、個人の価値観での判断が許されるものではなく、国家や国民の総意により形成されるものであるという主張をされる方がおられます。
確かに、立法を要するという面では、個人の価値観だけで判断されるものではありませんが、内心における観念としては、憲法によっても保障されているとおり、完全に自由なものです。
選択肢を狭めることは批判されるべきものであると考えますが、多様な選択肢を創設すること自体には何ら罪はないはずです。
必要な時に、必要な人たちがそれを選べるという状況を創り出すことは、自由で民主的な社会の象徴とも言えるでしょう。
我が国の将来を考えた時に、少ない人数で、限られた選択肢の中で窮屈に生きていく社会よりも、個人の自由が保障された中で、様々な発想をもった人たちが、お互いの自己実現のための人生の追及を、数多ある選択肢の中から選びながら行っていく社会の方がどれほど魅力的でしょう。
旧来の家族観と、生殖医療やLGBTの存在を前提とした新しい家族観を対立構造にしては絶対にいけません。
それぞれ認めて、その選択に関しては、国民一人一人に委ねられるような社会にしていくことが、これからは大切なのです。
そして、その判断の基準について、国民一人一人が自分でしっかりと観念できるように、様々な価値観の養生を、子供の頃から適切に教育していくことが重要なのです。