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こんばんは、酒井孝祥です。
前回の7周年パーティーに関連する話題なのですが、そのパーティーの場で言われた何気ない一言に、「このコラム連載をやめた方が良いのではないか…」と思いました。
もし、その人がこれまでの僕のコラムを読んでいないのであるならやむを得ないのですが、読んだ上でその言葉が出てきたのだとしたら、僕が意図していたものと違うものが読者に伝わり、誤解を招いたかもしれないからです。
僕は、ある演出家に出会い、日本の古典芸能の魅力と、それを学ぶことが俳優にとっていかに有効かということを教えていただき、そのことに共感することになりました。
それまで歌舞伎一つ見たことのなかった僕は、たまたまその方に出会えたことが入口となり、古典芸能の世界に触れることになりました。
もしもその方に出会わなかったら、折角間近にあるこの国の伝統的な芸能のことを何も知らず、堅苦しくて敷居の高いものとしか認識しないままに、過ごしていたと思います。
もしもそうであったとしたら、それは勿体ないと思います。
そして、現実の状況として、古典芸能=難しい、堅苦しい、分かりにくい、つまらないという印象を持っている人が少なくないと思います。
それは、役者さんや舞台関係の仕事をしている人においてもです。
やはりそのことを勿体ないと思うのです。
本格的なシェイクスピア劇を観て勉強したいと思ってイギリスに行かなくても、最高峰のミュージカルを観にブロードウェイまで行かなくても、日本に生まれた日本人は、外国人が羨む程の魅力的な芸能を、気軽に楽しむことが出来ます。
料金が高いと思う人もいるかもしれませんが、例えば歌舞伎で後方の席であれば、下北沢の小劇場より安いことだってあり得ます。
僕は古典芸能の専門家ではありません。
もちろん弟子入りして習ってもいますが、それは、俳優としてのスキル向上が目的であり、僕は古典芸能に関しては、どちらかと言えば、ファンの様な存在に近いと思っています。
ただ、古典芸能の中でも、自分が深く関わっている分野もあって、立場上、その関係者のコメントとして受け取られてしまうかも知れない限定的な内容については、このコラムでは敢えて書かないようにしております。
このコラム連載のモチベーションは、アイドルファンが自分の好きなアイドルの魅力を、その関係者に頼まれたわけでもないのに、他の人に伝えたいと思う感覚と似ているかもしれません。
そして、もともと関心がなかったところから、役者の勉強の一環として興味を持っていった経緯があったからこそ、以前の自分と同じ様に古典芸能に関心がない人が、こんなことを知れば興味を持つのではないか…と思うことを中心に書き連ねているつもりです。
このコラムが入口になって、その世界に興味を持って下さる人がいらっしゃれば、それはこの上なく幸せなことです。
中には、専門家でもないのに何様か?ただの自分の知識自慢か?と思われることもあるかと思い、そう言われてしまえばそれまでかもしれませんが、自分の様な立場だからこそ、本職の人とは違う観点から伝えられることがあると思っています。
さて、前置きが随分長くなってしまいましたが、その、ジャンクステージ7周年パーティーで耳にした何気ない一言とは、
「これからも日本の伝統を護って下さいね。」
というものでした。
その言葉は、伝統芸能を継承する、その道の専門の人に対して発せられるべき言葉と感じました。
もし、これまでのコラムを読んだ上で、僕に対してその言葉が投げかけられたのであれば、このコラムを連載することが、自分に対する誤解に繋がってしまうと思いました。
自分ではそんな風に書いていないつもりであっても、言葉で人にものを伝えるにあたっては、必ずしも自分の意図した通りに捉えられないということを認識させられる一言でした。
そう思い、ジャンクステージの連載を終了しようかと考えたのですが、しかしながら、その何気ない一言は、決して誤ってはいないことにも気が付きました。
伝統芸能は、それを学ぶ人が一人もいなくなったら、消滅してしまいます。
たとえその道の専門家でなくても、師匠が代々受け継いだ芸能を真似し、学ぼうとする行為は、程度の差はあっても、その芸能を護る行為に他ならないかもしれません。
そのことは、自覚すべきと思い直しました。
その一言は、古典芸能=護られるべきものという連想から、先ほど日本舞踊を少し踊った僕に、何気なく発せられたのかもしれません。
しかし、色々と考えさせられる一言でした。
次回は、「いつ習い事を始めるか」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。