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「すいません、ラジオ、切ってもらえませんか」
気のいい人だったのか、タクシーの運転手はすぐにスイッチを切ってくれた。なのにモヤモヤした気持ちが急激に全身を支配していくのがわかった。パーソナリティに罪はない。彼女はただ、年中行事としてのそれに触れただけなのだ。わかっているのにどうしても過敏に反応してしまう自分が情けなくて悲しくて、ため息をついて窓の外を見る。クリスマスが近づくこの時期は、まだ夕方だというのに煌くようなイルミネーションと幸せそうなカップル達が街を埋め尽くしているみたいだった。
――クリスマスは会えないと、最初からわかっていた。
アメリカと、日本。飛行機に乗れば半日足らずで行き来することはできるけれど、お互い仕事を抱えている。向こうはホリディにも関わらず独り身を理由に休日出勤で、私もまた年末納期の案件を抱えている身だ。その分年末にはたくさん会おうねと約束したのはついこの間のことだったのに、こらえ性がなくなったのか、目の奥が熱くなった。
彼に逢いたくてたまらないのに。一分一秒でもそばにいたいのに。
そう思うと、呆れたような彼の笑顔がまぶたに浮かんだ。
最初は完璧過ぎる人だと思っていた。外資のエリート。立ち居振る舞いもスマートで、女のあしらいにも慣れていて、不自由していない人だと一目見てわかった。だから、必死でアタックした。好きになったのは私のほうで、彼が欲しくて、色仕掛けでもなんでも全部やった。安い女だと思われても良かった。犬のように私は懐き、彼も絆されるようにして付き合ってくれた。彼女にしてくれると言ってくれたとき、私はその言葉を言わせたのだと自覚していた。それぐらい、彼は私には不釣合いな男だった。少なくとも、スペックとしては。
今はもちろん、彼が完璧――いわゆる女が望む完璧さを備えていないことぐらいはわかる。家事は全然できないし、ネアカなようで根暗だし、実はナイーブで子供のようなところだってあるし。でもそれがなんだというのだ。私は彼が好きだ。付き合ってもらえている間は、彼が隣にいることを許してくれる間は、そばにいたいと思った。できる限りその時間を引き伸ばしたくて、子供のように駄々も捏ねた。だから、彼がわたしに見せてくれる一番多い表情は呆れたような顔ばかりだった。「よくもまあお熱が続くね。」それでもほんのり甘いその顔が、私はとても好きだった。
街中がクリスマス一色で、カップルばかりで、でも、彼は日本にいない。私もアメリカにはいけない。仕事はきちんとしよう、とそれは無言の了解で、だからこそ必死で毎日働いているのだ。くだらないクレームにも頭を下げ、お茶を入れ、書類を作って。彼はきっともっと程度の高い仕事をしているのだと思うといくらでも頑張れた。近づきたいと思って、必死で。
手の中で、携帯が震えた。
着信したのは彼からの、帰国予定日を知らせるメールだった。最後に付け加えられた、「早く会いたい」の言葉が嘘みたいに嬉しかった。
私は想像する。年末の街を一緒に歩いているところを。今街を歩いているどのカップルより幸せな顔で歩いているだろう自分のことを。そしてそれを見る彼の呆れたような顔を思えば、クリスマスだって乗り切れるような気がしていた。
年末まで、あと少し。
車窓を流れる景色をさっきよりも落ち着いた気持ちで眺める。現金だけれど、今、この瞬間は誰よりも私が幸せだと思った。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。