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2013/12/21

さて、昨年の1月から始まりましたこのシリーズも、いい加減ここらへんで締めくくらなくてはなりません(爆)。
というわけで、今回を「私とストリップ」の最終回とさせていただきます。

1993年にパソコン通信でストリップ情報の交換を始めたわけですが、結局3年くらいでやめることになりました。
ひとつには、以前書いた「ストリップファン」と「踊り子ファン」との対立が、収拾がつかない状況になっていて、それに嫌気がさしていたということがあります。
なにしろ、運営していた私でさえ「吊し上げ」を食うような状況でしたからね(苦笑)。
そしてもうひとつ、ちょうど「WINDOWS95」が普及してきてインターネットが身近になってきたことにより、ホームページで情報発信してみたいという気持ちがわいてきたのですが、既存の集まりの運営が忙しくて手が回らなかったので、これを機会に活動の場所を変えてみようという、タイミングに合ったということもありました。

こうして1996年末に作ったストリップのホームページが、「日本ストリップインフォメーションセンター」(Japan Striptease Information Center)でした(爆)。
我ながらずいぶん大きく出たものですが、インターネットは世界に開かれた空間でありますから、ひとつここで世界に向けて「日本のストリップ」を発信してやろうじゃないかという「野心」が当時はありました。
ですので、内容も拙いながら英語とのバイリンガルで作ってみた次第です。
具体的には、日本及び世界中でストリップを扱ったホームページのリンク集を作成し、これに日英バイリンガルで解説を付けたのが、スタート時の内容でした。
もっとも、以降はもっぱら日本語のみで、ストリップの観賞レポートを書き続けていましたが・・・
また、ストリップ関係のホームページをやっている人間としては異例のことだと思うのですが、きちんと自己紹介を行い、本名を明かして活動しておりました(原爆)。
それは、見てくれた皆さんに「得体のしれない人間」や「怪しい人間」だと思われないよう信頼を得るのと同時に、「ストリップを見ることは、恥ずかしいことではない」とアピールする狙いがあったからです。
さらに、今考えてみれば無謀だったことに、自分が「地方公務員」であることまで書いた上に、その「地方公務員」をクリックすると勤務先にリンクしているという、徹底したものでした(水爆)。
ですので、下手をすれば勤務先にまで脅迫電話がかかってくる危険性もあったわけですが、幸いにもそういったことはなく現在に至っております(笑)。

しかし私は、この頃は明らかに間違っていた方向に進んでいたように思います。
もはやストリップを「choreography」を見る場ではなく、「踊り子と仲良くなるための場」と勘違いしていたみたいですね(苦笑)。
すなわち、「私はストリップのホームページで有名なんですよ」という売り込みで周囲に顔を売っておいて、まずは踊り子を応援していたファンの人に接近し、そのファンを通じて踊り子と知り合ったり時には飲みに行ったりするということを、繰り返していたのです。
しかもそれを、特定の踊り子だけでなく誰彼かまわずやっていたわけですから、これが周囲の反感をかわないわけがありません(苦笑)。
また私は、ストリップの質が下がったのは、踊り子を応援する人たちが踊り子と仲良くしようとしてばかりで、踊りの質の向上をむしろ妨げていたことにも一因がある、という考え方を表明していて、この点でも「応援系」の皆さんを怒らせていたことと思います。
結局、ネット上でも劇場でも叩かれまくり、わずか2年足らずの1998年9月に「日本ストリップインフォメーションセンター」を閉鎖することとなりました。
自業自得とはいえ、これはさすがにこたえましたね。
これ以降はおとなしく、普通の観客としてしばらく観賞を続けていましたが、すでにこの時点でストリップは「choreography」としては大きくレベルダウンしていて、一回り3時間劇場に居続けることさえ苦痛になっていました。
そして、以前から見続けていた踊り子が2001年5月に引退したことを機会に、ストリップ観賞に一区切りをつけることにしたのです。

ストリップに関する活動で、一時的には多くの知り合いができましたが、現在に至るまで関係が続いている人は、残念ながら1人もいません。
そして現在の自分のホームページでは、ストリップに関する記載はすべて削除しております。

といったところで、2年にわたってお送りしてまいりましたこの「私とストリップ」、この辺で締めくくらせていただきたいと思います。
ここまでお読みくださった方、どうもありがとうございました。

2013/12/21 11:04 | yamane | No Comments