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こんにちは。中世文学担当のタモンです。
前回、「弱法師」についてお話すると言いましたが、
その前に、最近見た「サド侯爵夫人」の舞台について感想を書きたいと思います。
なぜかというと、「サド侯爵夫人」を見たら、タモンの専攻についても考えさせられることが多くあったんですね(「弱法師」について書くのが大変だった…という話もありますが、それはおいといて)。
【あらすじ】
18世紀、ブルボン王朝末期爛熱のパリー。サド侯爵夫人・ルネ(東山紀之)は、残虐かつ淫靡な醜聞にまみれる夫を庇い、愛し続ける。“悪徳の怪物”に“貞淑の怪物”として身を捧げる彼女に対し、世間体を重んじる母・モントルイユ夫人(平幹二朗)は様々な手を尽くし別れを迫るが、夫が獄につながれてもなお彼女の決意を揺らがず、対立は続いた。やがてフランス革命が勃発。混乱の中、老境に差しかかったルネのもとに釈放されたサド侯爵が現れるのだが…。
参照:http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/11_mishima/story.html
最初に役者のことについて、ちょこっとだけ。
圧巻はモントルイユ夫人。
本作の特徴に、洪水のような圧倒的なセリフ量がある。
セリフひとつをとってもレトリックの嵐と洪水のような長さで、観客にも集中力と忍耐が要求されてしまう、厄介な戯曲。
平幹二朗のモントルイユ夫人は、その超弩級のセリフを消化し、言葉で「表現」していたことに驚いた。間違いなく、本劇の心柱を担っていた。舌のうえで言葉を転がしているような、セリフ回しにただ酔いしれた。「世間」を代表する母親という人物が、貞淑や悪徳といった観念自体が社会通念と相対化させることによってしか存在しないことを、浮き彫りにさせていた。
また、サンフォン伯爵夫人役の木場勝巳の長広舌も見どころのひとつ。第一幕で鞭をしならせながらまくしたてる長広舌は、今まで見たサンフォン伯爵夫人役のなかで一番面白かった。
オールメールであることによって、全配役の「ありえなさ」が消え、かえって役柄が背負う理念が際立ち説得力が増す。本作のように、観念が結晶化したような役柄だと、役柄に安直な感情や表現を付け加えてしまうと、とたんに陳腐になってしまう。女性がルネを演じると、女のもつ「業」(言い換えれば、したたかさやふてぶてしさ)を排除しなければならず、リアリティを持たせるにはいささか難しい役柄であったことは間違いない。それを男がやることによって、硬質な美しさを魅せることに成功していた。演劇の世界では性を越境できるのだ。
ここからが本題。音楽と舞台美術について。
音楽には能の大鼓と笛が使われていた。
長いセリフにアクセントをつける効果をねらったのだろう。全編を通じて、役者のセリフのポイントに大鼓の音が入る。
能の囃子プラス、歌舞伎の拍子木も入る。
残念なのは、大鼓の音と拍子木の区別があまりつかなかったこと。鼓や笛の音を録音で流すと、どうしても割れた音になりがちで、本来狙っていただろう迫力や緊迫感が薄れてしまっていた。耳慣れない薄い音がどうしても快さよりも、観客に戸惑いを与えてしまっていたようにも思う。
実際、拍子木なのか大鼓なのか、わからない箇所もあった。周りの空気から感じられた困惑は、改めて、いわゆる日本の古典伝統芸能が一般の人々に浸透していないのかが実感した経験にもなった。
古典と現代の融合を狙ったというのは容易いが、その方法を達成するのはとても難しい。
開演前、舞台上には何もなく、駐車場に続く搬送扉が開放してあるだけ。開始とともに豪奢な舞台セットがセットされる。大鏡が四枚。観客席が映ることによって、観客もまた舞台を作る一員となる。
第一幕のクライマックスでは、能の謡(曲名わからず)が、クライマックスで流れる三島由紀夫の自決のテープは、背筋がゾクッとする。
最後、セットは解体され、舞台上には何も残らない。
全編、現代と過去の越境を感じさせる構成となっていた。
考えさせられたのは、知っている人間にしか、古典芸能と現代演劇の融合という理念はもう見慣れた方法だし、三島由紀夫のテープもまた有名すぎるほど有名でしかないということだ。
演劇には、舞台と観客、観客同士の一体感・臨場感を味わう楽しさもあると思う。
舞台を演じているなかから、新しさや未知の何かが再生産されることに立ち会える喜びみたいなものを感じさせてくれたなら…と、欲張りな願いを持つ。
それは、どんな古典芸能を見ていても、いつも思うことだ。
カーテンコールはヘンデルの歌劇Rinaldo 「 Lascia ch’io pianga (邦題は“私を泣かせてください”)」。個人的にとても思い入れのある曲。頭を振ったら言葉が溢れそうな感じで疲労困憊していたので、しっとりとした曲調に癒された。