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こんにちは。諒です。
10月も今日までとなってしまいました。
もう冬ですね。家の中が寒いです。
でもまあ、せっかく予告をしたので、秋の歌でも見たいと思います。
萬葉集は、全二十巻、巻ごとに構成(部立)が異なりますが、そのうち、巻八と巻十は、四季ごとに「雑歌」、「相聞」を立てています。つまり、「春雑歌」、「春相聞」といった具合です。今回取り上げる歌は、「秋雑歌」に収められています。
芳(か)を詠む
高松の此の峯もせに笠立てて盈ち盛りたる秋の香の吉さ(巻十・2233)
(高円山の峰を狭しと、笠をたてて盛んに満ち満ちている秋の香りの、何とよいものか)
「高松」は地名で、現在の春日山の南にある高円山のこととされます。「せに」は「狭に」、「笠」を立てるのは、キノコです。
この歌、結句に「秋の香」とあるので、香りを詠んだ歌に違いないと思っていました。まあ、結論から言うと、それで間違いはないようです。ただ、さりげなく注釈書を広げてみると、「芳」に「きのこ。特に歌の趣から松茸の芳香をさしたと思われる」(新編日本古典文学全集『萬葉集』)と注が付けられておりまして、驚きました。
え。「芳」ってキノコのことなの?
って感じです。この歌の題があらわす通り、巻十には、詠物歌が収められています。詠物歌とは、「物」へと視点をむけて、それを詠んだ歌で、中国の詠物詩に倣ったものとされています。「芳を詠む」歌は、この例以外に見られませんが、これを、ふつうの「物」と考えると、「芳」が「香り」であることはおかしい、ということになるでしょう。
しかし、詠物歌の「物」のなかには、「風」や「雨」など、天象に関わるものも含められ、「芳」は、香りという「物」を言うと考えられます。「芳」が香りをあらわす「カ」を指すことは、「香具山」が「芳山」と表記される例があることも、証拠となります。上代において、「カ」は、ただ嗅覚的なものをいうばかりでなく、視覚的、 複合的な ちなみに、「芳」という字には、草花の意味は見られますが、キノコの意味は無いようです。
というわけで、先の注釈書は誤解を生む説明であると言わざるを得ません。歌は、キノコの香りを詠んでいますが、題「詠芳」で限定されているわけではないのです。
さて、注釈書を見ていると、さらに不思議な点がひとつ。それは、このキノコを松茸に限定する注釈書が、多くあることです。
なんで松茸?
という素朴な疑問。「高松」は地名ですが、語感から松に生えるキノコが想起されるのかもしれませんが、特にそういった説明は見られません。それに、何も松茸でなくとも、香り高くて美味しいキノコは他にいくらでもあります。「秋の香」がするキノコといえば、松茸だから、という説明が多い中で、窪田空穂の「松茸といわず、『笠立てて』といい、『秋の香』といって、その特色を描き出し、またその多さをいっているのは、すべて喜びの気分の具象化である」(『萬葉集評釈』)という評にある程度共感しますが、松茸説を推す伊藤博氏の解説には興味深いものがあります。
「筆者は京都高雄の山奥で、澤潟久孝先生とともに、全山に松茸の林立する姿に接したことがある。足の踏み場もないほどにびっしりと生い並ぶ松茸は燃え立つ芳香を放って、華のごとくであった。この光景に接した時は、しばし茫然、声を呑まざるをえなかった。昭和二十八年のことである」(『萬葉集釋注』)
なるほど、そういった光景、見てみたいですね。実際に生えている松茸はおろか、採りたての松茸にもお目にかかったことがないので、松茸の本当の香りというのを、自分はまだ知らない気がします。こればかりは、松茸の本当の素晴らしさを知らないと、断ずることができませんね。