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地球の舳先から vol.294
キューバ編 vol.10
ハバナ市街地へ戻ったわたしが最後に向かったのは新市街。
留学時代を暮らした場所であり、瀟洒な住宅街でもある
ハバナ大学や政府関連のいわゆるお堅い施設が集まり、
ハバナ・リブレとホテル・ナシオナルという二大老舗高級ホテルが立ち並ぶ。
このハバナ・リブレは旧称をヒルトンホテルという。あのヒルトンである。
革命後、国が接収して国有化し、名称も変わったのだ。
10年前は1階がお土産物屋でいつも繁盛していたが、がらんどうになっていた。
このホテルの近くにあった、ビザ管理オフィスに何度やきもきしながら通っただろう。
わたしが目指していたのはその先にあるナシオナルホテルだった。
当時はこのホテルの地下にインターネットを使えるルームがあり、
1時間12ドルとかの法外な値段で週に1回だけ繋ぎに来ていたものだ。
(公には、キューバではいまだに一般人がインターネットを使える環境にはない。)
海外口座とのやりとりもここで行っており、最も外界と繋がっている場所だった。
用事(両替)を無事終え、周辺のジャズクラブの立地を確認しながらハバナ大学へ。
一応平日は毎日通ったその場所は重厚な銅像と階段が歴史を物語り、
南北アメリカ大陸で最も早く設立された大学というのもうなずける外見である。
そこから、ノーアポイントで、かつての下宿先へ…と思っていたのだが
10年という年月の重みを、ハバナの景色からではなく自分の記憶力の低下から
実感させられる羽目になった。
歩けど歩けど、「この通りに違いない」という見覚えのある道ばかりで
一向に目的地にたどり着かない。
通行人に聞くも、ボケたおばあちゃんは「彼女は私の友達よ。息子のミシェルは
あそこで働いているわ」と配給所のパン屋を指差す。
ミシェルという名は確かに合っているが少なくとも彼は10年前、医学だか工学
だかを目指すエリート大学生だったはずである。
「ミシェーーーーーール!」とパン屋に向かって絶叫するおばあちゃん。
結局、何人か目に聞いたおばちゃんが大変親切で、「わからない」と別れた後
通りすがりの人に聞きまくってくれたようで、「場所を知っている」という
洋服を着たトイプードルを連れたおよそキューバらしくない上品なご婦人を連れてきてくれた。
今度こそたどり着いた昔の下宿先の女主人は大変元気で、
お得意のキューバ料理を振舞ってくれた。
相当な御年のはずなのだが、「えーとユウがうちにいたのは、2004年よね?」という
正確すぎる記憶力はたぶんわたしより相当、脳年齢が若い。
「あのーミシェルは今」と聞いたところ、「工学の先生をしている」という返答を聞いて安心した。
毎日の夕立が続いていた。
食事を取るダイニングのテラスから往来を見下ろし、十年一日とはこれか、と思う。
ふいに胸に迫るものがあって、涙が出そうになった。
嬉しいのでも悲しいのでも悔しいのでもなくて、懐かしくて泣きそうになる、という経験が
はじめてだったのは、やっぱりまださほど長く生きていないということなのかもしれない。
でも確かに10年前のわたしは、30歳まで自分が生きているなんてことを
うまく想像することはできなかったのだ。
あのころのわたしは、人生で一番の不安定な思春期にいて、
日本を少し離れたのもおそらくいい選択というか必然だったのだ。
目に見える唐突なルールと制約の中で生きるキューバの人々の生命力は、
10年経ってから見ても眩しくも恨めしくもあるもので、やっぱり変わらない光景だった。
雨待ちをして、女主人に別れを告げて家を出る。
今度は迷わないぞ、と思いながら、また来る気になっている自分に気付いたのだった…
つづく
(サンティアゴから帰ってからは、テハティジョ・ホテルという中級クラスに泊まったのだが、目の前の道路が工事中で雨が降ると大変なことに…)