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ちょうど笠原ちかさんのコラム「風嬢だって人である。」の記事「奥が深すぎる大人の世界」http://www.junkstage.com/chica/?p=320 を拝読しまして、ああ、嗅覚もそうだよね、うんうん、と大いにうなずいたのがきっかけで、このような題名のコラムとなってしまいました(笑)。爽やかな日曜朝の散文としてはふさわしくない内容ですが、よろしくおつきあい下さいませ。
アダルトビデオの世界観の広さに、人間というものの深淵さを見ることができる、とおっしゃる笠原さん。まさに、匂いの嗜好も然り。人って、こんな匂いを好きになれるのか・・・とその理不尽さには驚くばかりです。
しかし、匂いの嗜好性には無意識な行動と結びついているところも多く、その無意識の部分を明らかにしようとするのは簡単ではありません。まさに禅の修行。「じぶんはこんな匂いが好き」と意識できる匂いは、その氷山の一角でしかないのです。
性癖の方がよっぽど、自覚しやすいのかもしれません。性は、他人と関わる事で成り立つので、他人が鏡の役割をしてくれているのでしょう。それにアダルトビデオショップに行けば、ずらっとタイトルが並んでいるわけで、そこからなんとなくイメージで惹かれるものを選んでいるうちに段々わかってきますよね。
匂いは、イメージでは伝わりません。物質なのです。分子なのです。物理的に匂いを嗅がないと、それが好きか嫌いかわかりません。なので、経験こそが鍵となります。
その経験が、次の行動(嗜好性)への土台となるわけですが、人間はよくわからない行動でも理屈でじぶんを納得させたがる動物です。匂いが支配している無意識な行動にも、ああだこうだと屁理屈をつけ、匂いのせいではないことにしています。そのじぶんの屁理屈を見抜き、解き明かし、なるべく少なくして生きられたら、楽なんですけどね。これも禅の修行。
香りの世界で仕事する人たちは(私も含め)、ある意味「匂いフェチ」だとは思いますが、特定の匂いに執着するフェチとは違います。匂いなら、じつはなんでもいいのです!(生理的なレベルの反応は別として。)「禅の修行」の対象だから。もしかしたら、われらの性癖もそんな感じかもしれませんね・・・アダルトビデオならどれでもいい、とか。(←少なくとも私はそうですね。笑)まあ、性癖と匂いの嗜好性の根が同じだとしたら、の話ですが・・・。
ちょうど先日、オランダ王立美大で受け持っていた3週間の授業が終わりました。嗅覚アートの基礎を教えた上で、「嗅覚のゲームを作る」という課題を与え、作品を作ってもらいました。最終プレゼンのビデオをこちらにまとめました。
生徒ひとりひとりが輝いているでしょう? これには学部の先生たちも「普段の彼らと、違う」と驚きました。学生の中には、レズとかゲイとか少なからずいたのですが(ここはオランダですし)、彼らが特に力を発揮していたのが興味深いです。もしかしたらこの3週間のあいだに、匂いの深淵な世界に触れたことによって、抑圧されていた部分が解き放たれた結果なのかな・・・?
(写真は、学生達が抽出した香りたち。ひとつはパッションフラワー。もうひとつは、猫の糞。笑)