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地球の舳先から vol.293
キューバ編 vol.9
時差ぼけが治らない。
早朝、またサンティアゴ・デ・クーバからの飛行機でハバナへ帰り
滞在もあと残すところ2日になっていた。
少しだけ郊外を回りたいと思っていたのだが、何せ公共交通機関
というものがほとんどないのがここハバナの難点。
それでも、観光客向けの路線バスが2ルートほどあり、
とりあえずハバナ市街から海を挟んで反対側のカサブランカ地域へ。
ちなみに、「カサブランカ」は英語で「White House」。
10年前もこちら側に上陸したことはあった。
あのときは、現地の医学生が渡し舟で案内してくれたことを思い出す。
普通に歩いていると船がどこから出ているのかすらもよくわからないので
ガイドとしては非常に有用だったのだが、それからしばらく家の前で毎日
待ち構えられてプロポーズされ続けた。
キューバの未来のために勉強してください。って余計なお世話か。
要塞の展望台に上って見渡すハバナの市街地は確かに美しい。
すこし離れたほうが綺麗にみえるものも、きっとたくさんあるのだ。
展望台には世界各国の国旗リストが並んでいて、これで船籍を判断する、
といって日本の旗もひろげて見せてくれた。
そこから、客引きに来たタクシーの運転手に「ゲバラの家はどっちだ」と聞き、
ここの道を永遠にまっすぐだ、というので、どうせ1キロくらいだろうと踏む。
つらつら歩いていると、こちら側には軍事施設が多いようで、ところどころに
錆びた鉄条網で区切られ立入禁止を示す区画があらわれる。
道はまっすぐで、観光客がチャーターした蛍光ピンクとかのクラシックカーが
ごくたまに通る以外は非常に静かで、照り付ける太陽を沿道の木々がそよがせる。
運河をひとつ越えただけで、ずいぶんと雰囲気が変わるものだ。
途中、拿捕したらしいアメリカ軍の昔の戦闘機や武器が無造作に
屋外に並べられているスペースが突如として現われた。
歩道の芝生に置きっぱなしにしてあるレベルなのだが、一応掘立小屋から
人がでてきて3ドルを要求する。代わりに渡された紙きれには
「カバーニャ要塞 屋外展示場」と書いてあった。屋外展示場…ねえ。
もうしばらく歩くと、ゲバラの第1邸宅。といっても執務スペースにしていた場所だ。
鮮やかな緑色の建物は、ハバナの市外を見渡す一等級の高台。
ここでしか見られないというお宝写真もたくさん展示されている。
すぐ前の広場で1ドルで缶ビールを頼み、タクシーと交渉して、
小説「老人と海」のモデルとなった漁村、コヒマルへ。
かつてヘミングウェイが愛艇ピラール号を停めて日々釣りにいそしんだというが
いまでは観光客の姿もほとんどなく、うらぶれた港町のふぜい。
国籍を聞かれ、その国の歌を歌ってチップを要求する高齢の女性しかいない。
タクシーも通っておらず、唯一観光スポット(というか食事処)になっている
ヘミングウェイのかつての行きつけ「ラ・テラサ」で食事をして、タクシーを呼んでもらうことにした。
店内には、「ヘミングウェイカップ」というカジキマグロの釣り大会(←謎)で
カストロ議長が優勝したときの写真が飾ってある。
嗚呼、不思議の国キューバ。
さらに東へ向かい、タララ地区へ行く。地図上で見ればビーチスポットだし
観光客を乗せる東行きのたった1本のバスにも「タララ」という停留場があったので
バスで行こうかと思っていたくらい普通に行ける場所だと思っていたのが間違いだった。
区切られ隔離された地区は厳重なセキュリティが敷かれており、
地域に入るにはパスポートとガイドの交渉、それに袖の下が必要だった。
ただビーチへ行くのになんでパスポートが必要なんだ、といったところ
ガイドも「あそこにはチェルノブイリの子どもがいるから仕方ない」という。
ここは、かのチェルノブイリ原子力発電所で被爆した子どもたちを
キューバが預かっている施設がある場所でもある。
一般人でも公然と知っている、ただし高度に複雑で政治的な事情ということか。
中は、区画を綺麗に管理された別荘地のようでもあり、病院、住居、ビーチ、レストランが広大な敷地内に整然と並んでいる。
しかしいつか見た報道で子供達がビーチで無邪気に遊ぶ姿などは一切無い。
演出。ドキュメンタリー。パフォーマンス。そりゃ、そうだけど。
ただ、ここは「開かれて」はいるのだ。こうして、おそらく万人に。
最初に値段を聞いたときに「それはこれから話そう」とはぐらかしたこのタクシーを
どう値切るか思案をめぐらせつつ、わたしは対岸のハバナへ帰った。
つづく