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2013.9.28.sat.写真展「深入り」クロージングの夜にて
撮影/WALD 森氏
写真家の背中は、いつだって無防備だ.レンズ越しの何かに視線を向けているとき
その背中はいつどうなったっておかしくないくらいの無防備さに溢れている.
それを隠そうとも思わないし、そんな得体の知れない背後を
気にしながら何かを創ることなんて出来ないだろうと思う.
その次の瞬間には背中から刺されたって構わないくらいのもので
作家の背中とはそういうものだ.
「作家の背中」
この写真展で、自分が今居る位置…というか場所…そういうものは
自分が一番解っているつもりだし、それは端っから解っていたこと.
今更どう取り繕うつもりもない.そういうものもあえて晒すつもりで
僕は写真展最終日の夜に臨んだ.
今日までの僕の日常の中で「背中」から撮られるなどということは
全く無かったことだったし、まして作家としての背中だなどと…
けどそういうのも含めて僕は期間中在廊しようと腹を括っていた
見せたい、見せる(晒す)べき人たちには見せられたと思う.
ただそれでもやっぱり怖くて、痛いものは痛い.どうしようもないことだけれど.
「やっぱりカメラを持ってるときの方が良いね」
そう言われるのがしっくり来る、今の僕はそんな場所にいる.
というか、そうでもしないと辿り着けない写真展だったと思う.
物心両面から考えて、もうキレイ事とかスタイルなどに拘って
写真展まで持って行けるような状態ではなかった.
ただ形振り構わずそこにたどり着くことだけをひたすら願い目指していた.
真っ直ぐさと歪み
勢いと趨勢
苦悩と変化
絶頂と衰亡
他者と自身
確信と不信
来るべき黄昏と幻滅
全てがあらかじめ用意されていたみたいに
その夜は本来の在るべき姿でそこに在った.
そこにはたくさんの「背中」があって
そして僕はそこに集ってくれた方々の背中を
ただ見ていることしか出来なかった.
くすむことの無いその背中たち…
今の僕には眩しすぎて直視することなど出来なかった.
僕が追いかけていた背中
僕が追いつきたかった背中
僕が見せたかった背中
手を伸ばせば届いたのかもしれないけれど
僕は伸ばすことは出来なかったし、
伸ばしても届かなった、誰かに見せることも叶わなかった
その理由が、僕にはある.
写真展最後の夜に見せてもらえたそれぞれの背中は
何を物語っていたのだろう.
もうそれを知る術も、語る資格もないほどに
遠くへ来てしまったことに気付いていたはずだけれど…
今日までの果てしの無い何かがひとつ終わりを告げて
これから先の果てしの無い何かがまた始まる.
ただ解っていることは、これから何処へ向かうことになるにしても
これから行き着くだろう先が、いつか望んだような結末だとは
言えない…ということだけだ.
病気や挫折は言い訳にはならない.
ただなるようになった…
そしてそうすることしか出来なかったのだと思う.
トーク…というにはあまりに稚拙だったけれども
少しだけ、話をさせてもらえた.
この夜のために用意したスライドは路上でのスナップ、歓楽街実録物.
伝えたかったものは展示の作品もこのコラムでも同じこと.
何かいかにも良い感じになる技巧も、綿密なプランも、駆け引きも
デジタルかフィルムかさえ無縁の、「写真」そのもの.
一切を削ぎ落とした中でそこにどれだけの物語を感じてもらえるか.
そのときもまた、僕自身も恐らくは被写体も、自己の背後のことなど考えてはいない.
スライドは腰を据えて対峙する展示とは違う、
速度が全て…カラー作品含めて60点、1点約5秒…
赤は赤、青は青.ただそれだけあればいい.
垂れ流すだけの〜な色ですねーだなんて問題じゃなくて.
あれこれと息つく間も与えないくらいがちょうど良い.
歓楽街での実録風の写真たち、お酒が入るこの場にはお似合いだ.
そこで描き出されるだろう薄っぺらで身勝手な物語とその顛末は
今の自分にもまたよく似合っている.
「孕んでいるもの、気配」
今回の写真展で言われた言葉.
そう感じられたとするなら「それ」は間違ってはいない.
むしろ言い当てているとさえ思う.
だから…そのことを知っている人たち、
またそれに感づいている人たちの背中を、
僕は直視することが出来なかったのだ.たぶんこれからもずっと.
その「背中」たちをかつてないほど遠くに感じて、その夜は更けて行った.
オレンジ色の感想ノートの頁を閉じて想う
少しだけ、地元柳川の畔に立っていたいような
そんな気持ちを抱えながら、また冬が来ようとしている.