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地球の舳先から vol.292
キューバ編 vol.8
手ぶらでグアンタナモ基地に近づいたら、バカって言われた話。(その1)
の続きです。
…そんなわけで、グアンタナモ・ホテルへ帰って、やり直し。
いらいらしないコツは、他人に期待をしないこと。旅は運任せ。
ホテルで待っていると、青いポロシャツのヤンキーみたいな人が出てきた。
「僕が公認ガイド」ホントかよ!と突っ込みたい気分だったが、もう乗りかかった船。
いけるとことまで行ってみよう。
彼を乗せて、すぐ近くの、鉄の柵の閉まったオフィスへ車を移動させる。
重厚なセキュリティと、確かに政府関連の施設であることを示す、ものものしい看板。
ここでまた車内で待つと、一枚の紙を持って出てきた。
訪問許可書にあたるものらしい。わたしのパスポート情報とガイドの所属会社の情報、
それに、手書きのサインとハンコ。彼のことを、ようやく信用する。
が、ナイーブになっているのはわたしのほうばかりのようで、
ガイドと男はせっかく取った許可証を手にもったまま、何かおもしろい話でもあるのか
後部座席で盛り上がっては手をたたいて爆笑している。
ワタシの(あなたに発行してもらったものですけど)許可証をもっと大事に扱ってください!
2時間前に来た関所に来ると2人のガイドは急に真剣な表情で仕事をし始め、
小屋から出てきた2人はガッツポーズ。ひと安心。
なにもない道を走り、塩の産地だという海沿いに民家や建物がぐっと減ったころ、
再度関所が現われる。セキュリティレベルがまたひとつ上がるのだろう。
もしかすると、かなり近くへ行くのかもしれない。
こうして、カイマネラに到着した。
田舎の港町といった感じで、杭が打たれた海岸では地元の子供たちが遊んでいる。
到着したのは小さな、しかしプールのあるリゾートホテルだった。
ここで昼食を取り、双眼鏡を持ったホテルの人がやってきて、ようやくと見学が始まる。
まずはホテル内に設置された簡単な展示スペースで兵員の配置などの説明を受ける。
どこからどのような望遠レンズで取ったのかわからない、米軍基地内の施設の写真もある。
(※以下はあくまで現地でキューバ人から受けた説明なので、その前提でお読みください。)
グアンタナモ湾はキューバで2番目に大きい港だというが、本当の価値は大きさではないらしい。
深度の面で中南米屈指の「良い港」で、浅瀬からすぐに断崖絶壁になっていて
潜水艦の出航スピードがとても高いらしい。
なるほど、収容所ばかりが注目されているけれど、この地から「いろいろないけないもの」が出撃しているのだろう。
湾にはほんの小さな通行路が開かれており、一応キューバの船も通れるようになっているのだが
本当に狭すぎて、ボート並みの漁船しか通れないという。
湾には軍事施設や衛星ドームなどもあり、建物も近代的で「基地」というよりひとつの町。
湾に最も近いところに張り出した巨大なビルはシビリアンの独身寮で、シンボルらしい。
ちなみに賃借は月額約20万。「きみんとこの家賃くらいでしょ」といわれたが、まあ確かに。
「じゃ、見に行こうか」と案内されたのはホテルの101号室。
部屋に入るとすぐ左側に小さな扉があり、上階へ続く階段が現われた。
人ひとりがぎりぎり通れる程度の円形で急な階段を慎重に一歩ずつ進む。隠し扉か…
上階は屋上のようになっていて、なるほど眼下には湾が広がり、肉眼でも向こう側の建物が確認できる。
あまりの近さに少し驚き、渡された双眼鏡でふむふむと見学をする。
で、こっちから見えてる、ということは、当然向こうからも見えているわけで、
相手は天下の米軍なので、当たり前だけどわたしは「記録」されただろう。
ま、逆ならともかく、相手側がアメリカである限り、いきなり撃ったりしないだろう。
という感覚は、北朝鮮側から38度線に行ったときと似た感覚だった。
ちなみに青シャツの公認ガイドは、緩衝地帯の変更により以前の住居に住めなくなり
転居したそうだが、新しい家には新品の豪奢な家具がセットされていたという。
サンティアゴで手配したガイドはここへ来ることはほとんどないらしく、
むしろわたしより積極的に質問責めをしまくっていた。
あまり領土問題のように考えてはいないのか、アメリカに対する非難めいたものは
だれからも出なかったのが印象的。
最後に、記念にあげるよと訪問許可証をもらって、見学コースは終了。
帰りは関所で止められることもなく、一旦停止して停止線を開けてもらうのを待つのみ。
「ここへ来た日本人はきみで5人目だよ」といわれたが、その理由は聞かれなかった。
理由なんて、聞かれたって困るけれど。
また幹線道路を走りながら帰った。
どんな田舎にも、小さな町にも、政府系の機関の建物があり、国民は管理されており
どんなぼろい掘立小屋であろうとも、学校と病院があった。
車窓を見ていると、フィデル・カストロの社会主義は失敗だったとは言いづらい気分になる。
どんな田舎も、ひとりの国民も見捨てない、という気概はやはり指導者としても非常人的で、
異常なまでの意志により構築を続けてきたものなのだという畏怖を感じた。
~グアンタナモ編はおしまい。コラムはつづく