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古賀英樹写真展「深入り」も、無事その日程を終了し、
昨夜のクロージングパーティをもってたくさんの、
そして最高の方々に囲まれながら閉幕となりました.
展示風景のネットでの公開は、このコラムを最初に..と思っていました.
今回は文字数少なめに、展示後記を書いてみようと思います.
このコラムでもずっと、その準備過程と創って行く中での苦しさや
そこにたどり着くためのあらゆる想いを綴って来ました.
今、僕自身が展示を終えて思うのは
「純度」…です.
かつても同じように写真展して来た中で、それぞれに表現したい想いがあり
痛みや切なさもまたあったのだけど、それと同時に僕の中には
野心や虚栄心、或いは嘘、裏切り、注目されたい下心、解ってもらいたい甘え…
そんな濁ったものもまた確かにありました.
今回の会場となったギャラリーWALD ART STUDIOは20年の歴史あるギャラリーで
そこへ集う作家の方々も福岡のアートシーンの中でご活躍されている方々ばかりです.
そんな場所で果たして濁りにまみれた僕が写真展をする…
それもWALD20周年となる年の唯一の写真展が僕の展示で良いのか.
すごく怖いくらいの気持ちでした.
それでも観に来ていただけた方々の感想や、思いもよらぬ再会と
開催日を過ごし、そして誰も来ないだろうとさえ予測していた
クロージングに来ていただいた方に囲まれての時間は
ほんとはたくさんの言葉を伝えたかったはずなのに
涙を堪える作業でいっぱいで、そんな中で感じたものが、前述した「純度」でした.
20年写真をやり続けて来た中で、そこに全くの虚栄や嘘のない展示を
開催したのは、初めてだったのではないでしょうか.
ただただ、そこに写る想いを伝えたいというだけの、
それ以上でも以下でもない純度の高い写真展.
ここへ来て今までで最も気持ち的にも、写真としても
純度の高い作品を組めたことは
被写体さんの想いはもちろん、WALDのオーナーと、仕事でのスタッフの方と…
周囲に恵まれたことがすごく大きいと思えるのです.
僕の中に在った不必要な濁りを削ぎ落としてくれたと…
何かに追い詰められるかのように切羽詰まった場所でもない
何かを背負うような悲壮感もない場所で作品創ることが出来たからこそ
それがカタチとなって現れたのかもしれないと思います.
今までなら、展示を終えた瞬間からもっと..その先へその上へ…
という意識が起こっていたのだけれど、
そういう意味で、程よい距離感と硬軟のバランスの取れた
作品群となり、逆にここから先何処へ進むのか
今はまだ考えることがちょっと難しいくらいです…
業火の如く勢いに任せて燃え尽きるまでやるということは
それは華々しく感じることかもしれません
だけど大切なのは、燃え尽きるまでの炎ではなく
火を絶やさずにいること.
そのために必要なのは、激しい炎だけではなく
穏やかな炎もまた大切だということ.
今までの僕の感じからいけば、燃え尽きるかの如くやるほうが
たぶんいかにも格好良いものと感じていただろうと思います.
でも、火を絶やさずに時に激しく、時には穏やかに創り続けて行く
そのためには、もう少し上のスキルが必要な難しいものだと
思いますが、「純度」の高いものはそこから産まれるし
目指すべきはそこなのかもしれないと、そう思っています.
写真展「深入り」ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。
今回恐らく作家の僕よりずっとキツイ場所に立ち続けておられただろう被写体さん.
自身数年間分の様々なカタチに囲まれた最終日の空間で.