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2013/09/24

地球の舳先から vol.290
キューバ編 vol.6

ギラギラと照りつける太陽が、日傘を突き抜けてくる。
暑いより熱い。脳細胞が死にそう。と、いうか、多分順調に死んでる。
キューバ人にも、「サンティアゴへ行く」といったら「あんなクソ暑いとこに」と言われた。

しかし貧乏なわたしはタクシー代をケチって歩き続けた。
サンティアゴへ来たら、革命博物館に行かないわけにはいかない。
1953年7月26日、今も革命記念日として国民の休日となるその日、
当時のフィデル・カストロらはここにあるモンカダ兵舎を襲撃し
その銃弾から社会主義革命ははじまったのだ。

たいした見所のないこの地なので、すぐにそれはわかった。
が、入り口を間違えて、広大な兵舎のまわりを1周してしまった。
現在は小学校になっているという兵舎は黄色に鮮やかに彩られている。




(今も残る弾痕)

博物館の中には、学生時代のフィデルの名刺や、
襲撃後捕らえられたメンバーが拷問を受ける様子(写真なのが凄い)、
その後の革命までの華々しい道のりが詳細に展示されている。
いかにもな内容なのだが、最後のフロアで、わたしは久々に博物館で立ち尽くした。
革命で命を落とした人々の顔写真がひとりひとり、重厚な額に入れられて並んでいた。

皆、若く、あどけない少年の面影ばかりが目に付く。
この年齢で、何を思って、命を賭けたのだろう。
イスラエルのホロコースト博物館の最後のフロアに被害者の写真が並ぶのとは意味が違う。
彼らは、もちろん被害者ではないし、きっと犠牲者ですら、ないのだ。
いまのキューバは、彼らがその後の人生と引き換えに断っただけの未来の姿なのだろうか。

キューバ革命の原点となったこの蜂起の前日、彼らが宿泊したレックスホテルは
革命60周年の今年、新装開店してやたらポップになっていた。(上写真)
帰りこそバスに乗りたかったが、バス停に停まった「バス」を見て
そこまでの精神力と体力が残っていないことに気づく…


(※普通の路線バス)

ホテルは中央広場に面した最高の立地の場所を取っていた。
広場を中心に急な坂が広がり、市民がところ狭しと生活を送っている。
夕方ともなれば子供たちの無尽蔵な走り回る嬌声が響き、
そこまでアジア人の観光客が珍しいのか、大人は皆ぽかんと手足を止めてじっと見てくる。

夜も10時を越えれば、どこからともなく音楽が聴こえ始める。
本領発揮だ。「夜が明ける」という言葉はあるが、「日が明ける」とでもいえばよいのか
太陽が沈んでしばらくして初めて、生き生きと本当の姿を表すよう。

ハバナの音楽と比べて、リズムが変わったのがわかった。
トラディショナルなソンやトローバは、昔はなんだか退屈に聴こえていた類の音楽。
この国では、どこにいても音楽が溢れている。
昼夜や場所を問わず、音楽が途切れるということがない。
それなのに、10年前、わたしはそんなことにも、まるで気づかなかったのだ。
興味がないと耳にも入ってこないのだから、人間の嗜好って恐ろしい。

今思えば、勿体無いことをしたのだろう。
しかし、わたしが「キューバへ行った」ということが意味を帯びてきたのは、
むしろ、帰ってきてからのほうではなかったのだろうか、と思う。
東京に帰ってきてから、キューバの空気を探して辿り着いたライブハウスで
とあるフォトグラファーが、キューバ人を撮った作品に出会った。今も一番好きな写真作品。
このJunkStageで連載をしている廣川さんエイミーさんと出会って
ほとんどはじめて、キューバ音楽の楽しさを知ったのも、その頃だ。
「キューバ」という共通項で、だれかと出会い、キューバのなにかを発見したのだ。
日本で。

外にいたってホテルの部屋にいたって、眠れないほど音楽は聴こえるけれども、
小銭を払って、カサ・デ・ラ・トローバという街で随一のライブハウスへ入った。
ハバナのライブハウスと違って、ギラギラとナンパをしてくる輩もいない。
溶けない量の砂糖が沈殿した甘ったるいカクテルで、音に寄りかかる。

夜が更けていく。音楽とともに。
音楽であったまったテンションを、お酒でひっくるめて、寝るのだ。

これを人は、楽園と呼んだのかもしれない。
即物的で、刹那的で、愉悦的。
昼間に見た、革命博物館の青年たちの顔が、心のどこかには残ったままだったけれども
素直に酔ったのは、翌日がハードな旅になるとわかっていたからだったのかもしれなかった。

つづく


(これも路線バス 捕虜ではありません)



2013/09/24 09:02 | yuu | No Comments