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あーあ。またやっちゃった、って我に返ったのは家に着いてからだった。
買い物袋の重みで両手が痛い。ショッピングバックを肩から下げると、痺れてきた肩を回してあたしは今日買ってきた品物を床に並べた。ガラスの置き物、ダウンコート、革製のブーツ、ゴブラン織りのセンタークロス、万年筆、時計。それ以外にも控えだけ貰って来たのがいくつかあった気がする。ソファと、カーテンと、あとなんだっけ……百三十万なにがしのお金と引き換えに手に入れた品物の価値は高いのか安いのか分からなかった。
ときどき、こうなることがある。
こうなる、というのは要りもしないものを買ってしまうことだ。金額の多寡は時期によってまちまちだけど、今回はマシな方だった。でもわたしが意識して抑えたわけじゃない。単にカードの限度額の上限に達して会計が出来なかったからだ。いかがいたしますか、と妙に媚びて笑った販売員の顔を睨みつけ、わたしは枠いっぱいに買い物をしてきたのだった。
クレジットカードは魔法のカードではない。目に見えないお金は無限にあるわけではなく、設定された枠内でしか浪費の夢を見せてくれない。以前はそんな無粋なものはなかった。勤め先を変え、夫の名義で作られた家族カードは、最初から魔法の限度を決められているのだった。
わたしは急に色あせた目の前の品物を眺めた――お店の中ではキラキラと宝石のように輝いて見えた、一瞬でも。今度こそ本物だとおもったのに。
うちの蛍光灯のひかりでは急にみすぼらしくしょぼくれた戦利品にうんざりして、かさ高い箱を破った。あーあ。自分の口から漏れる馬鹿みたいな呻きはだんだんに笑いに変わる、あーあ。あはははは。現実味のない金額が、現実的なモノになって、目の前にある。夫はまだ知らない、わたしのこの奇行を。結婚する時母は必死になってわたしに言った、「もうやっちゃ駄目だからね」。カウンセリングルームに通わされ、なんとかというセラピーも散々受けてきたことも、わたしは一切隠して夫に嫁いだ。あのとき誓った通り、この衝動はずっとおとなしくなりを潜めていたのに。
欲しいから買うわけじゃない。手に入れたいから買うわけじゃない。モノそれ自体に価値があるわけじゃない、少なくともわたしにとっては。じゃあ、なんで? 欲しいものは、欲しかったのは、別にこんなガラクタじゃなくて、もっと違う、なにか別の。本物の。わたしをこんな衝動から解放してくれる、なにか、別の――
バックにつっこんだままの携帯電話が、鳴る。
夫だ。何も知らない、まだ知らない、夫からの電話。今から帰るという合図。
知られたら? でもまだ大丈夫、引き落としは月末だ。だからまだバレない。大丈夫大丈夫。
わたしは深呼吸して着信に答え、ごく短い会話を交わして通話を切る。とりあえず帰ってくるまでに品物をどこかへ隠さなければならない。どこへ? どうやって?
夫が帰るまで、あと一時間。
わたしは座りこんだまま、携帯の液晶に浮かぶデジタル表示が変わるのを見つめている。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。