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こんにちは。根本齒科室の根本です。
前回前々回「もしもむし歯が痛くなかったら」ワールドについて考えてみました。
そして、同時に「ハゲ禿髪は「病気」ではない」ことも書きました。
そのとき、ふと恐ろしげな三段論法を思いついてしまいました。
<1>むし歯が痛くない~むし歯を放置するのがわりと当然になる
<2>禿髪は「病気」ではない~禿髪を放置するのがわりと当然になる
<3>痛くないむし歯は、病気ではない
・・・!
そんなバカな!と我ながら一瞬思ってしまいました。
そういえば、禿髪は「病気」ではないということなので、かつらとかに保険が利くわけないですね。
また、近視・遠視・乱視なども「病気」ではないので、メガネにも保険が利くわけないですね。
(でもイギリスには『健康保険のメガネ』という、低品質医療を揶揄する諺がありますが)
むし歯や歯周病はどうでしょうか?
むし歯は、はっきり言って、ちゃんとしみたり痛くなってくれるのなんて、10本中2~3本もあればいいほうではないでしょうか。私が見ている範囲でも、ほとんどステルス状態で進行しています。
歯周病に至っては、またの名を「Silent Disease(静かな疾患)」と言うほどです。自覚症状がほぼないということそのものが歯周病の一番恐ろしい点のひとつでもあります。
そしてこれらは、自然治癒しません。むし歯の穴は縮まないし、歯周病(慢性辺縁性歯周炎)で下がった骨は戻りません。
しかし自覚症状がありませんね。
昭和時代やそれ以前の人は思いました。 「 歯 の 寿 命 だ 」
一部のむし歯はまれに痛くなることがありますが、大抵は無自覚にステルス進行していきます。
例えば、ある日突然、「奥歯が割れた」「奥歯が腫れた」などということが起きたとします。
すべてとは言いませんが、少なくないケースで、無自覚に進行した大きなむし歯のせいで強度が大幅に低下し、そのせいで折れたり割れたり腫れたりすることが、「割れた」「腫れた」な急性症状の遠因となっています。
そのような、慢性的な進行は、通常は当事者がまったく関知できないままに進みます。
このようなことは、今でも現実にしばしば起こっています。7~8割方は自覚症状がありません。
つまり、「もしもすべての歯科疾患が痛くなかったら」は、7~8割方達成されているんです。
冒頭の三段論法を考えると、ちょっとオソロシイかも・・
私は、自分が歯についてどう考えているかということもそうですが、前回前々回と今回は、「もしもむし歯が痛くなかったら」ワールドを通じて、他人だったら、一般の方だったら、歯についてどう考えるだろうか、についてずっと思いを致しています。
◆ 矯正あれこれ
矯正装置が恥ずかしいから、歯ならびが気になるけどやりたくない。
やるにしても、目だたないように、舌側(裏側)矯正やマウスピース矯正でできないか
という問い合わせの声が、当院でも絶えません。
いつも非常に不思議に思うんです。
なぜ矯正装置が、恥ずかしいのか?
なぜ日本でだけ、恥ずかしいのか?
変な話、矯正装置は、2年くらい経てばなくなるものじゃないですか。
それよりも、そのヤニがこびりついた歯肉とか(ヤニは皮の中にもしみこみます)、色あせた詰め物、ずれてる差し歯、歯肉縁から透けてる縁下歯石etc..
はるかにヤバい物が、いっぱいありますよ。
あるにもかかわらず、それらのことは何とも思わないで、矯正装置が恥ずかしく感じることは、理屈で考えるとどうしても分からない。
これは、美意識の個人差というよりは、日本人に共通する独特の意識です。
昔の、江戸時代のことを考えて見ましょう。日本では既婚者の鉄漿(おはぐろ)が、むしろ美の証でした。
逆に『明眸皓歯(めいぼうこうし;白い歯の美人)』とは、杜甫(唐代)の言葉です。
歴史的にも、この言葉がわが国で喧伝された痕跡はありません。
これらからも、日本では伝統的に、歯の着色には抵抗がない文化だと感じます。。
何より、色あせた詰め物、ずれてる差し歯は何十年も、もしかしたら一生そのままかもしれませんが
矯正装置は一生のうち、人生88年(女性)のうちの、わずか2年ですからね。
日本以外の先進国では、当然ながら、歯ならびの悪さを放置するよりも、矯正装置がついていることの方が高評価であり、「針金ガー」とか恥ずかしがる人はいません。
ですから、わざわざ時間とカネを倍かけて、よけいにしゃべりづらく食事しにくい方法を選ぼうとする動機がほぼありません。
時間とカネが倍かかる舌側矯正などが流行るのは、基本、日本ならではのようです。
鉄漿や不良修復物などのことを考えると思いますが、それが良いか悪いかは別として
本当は日本人は、歯の着色や汚染を、特段恥ずかしいとは思っていないのではないでしょうか?
どんな理由があるのかは、私にもよく分かりませんが、自分なりにいろいろ考えた結果、現時点では、こんな感じです。
◆ 保険診療と[貴穀賤金(きこくせんきん)]の[農本主義(のうほんしゅぎ)]
江戸時代の朱子学が代表的です。コメなどの実物を尊び、カネを卑しいものとして蔑む。
農業を尊重するのは大変結構ですが、貴穀(実質GDP↑)賤金(名目GDP↓)も行き過ぎると、まさにGDPデフレーター(=名目GDP÷実質GDP)押し下げのデフレ推進思想や縮小再配分、悪平等主義に通じる虞があります。
「上を見るな、下を見ろ」など、まさしく典型です。
これらを防ぐために幕府はたびたび改鋳(かいちゅう≒金融緩和)によるインフレ化政策を余儀なくされていたようです。
また、士農工商の言葉が示すとおり、金儲けは卑しい行為として農業や”工”業の下に位置づけられていました。ですから
①「お金が高い」⇒[貴穀賤金]⇒医療のクセにけしからん。
②(お金が高いからけしからん)という考えがバレたくない。
③そうだ!「装置がみっともないから」ということにしようwww
・・・
何とも荒唐無稽に思えるかもしれません。
しかし、いろいろ考えても、他に合理的な理由があまり思いつかないのです。
たとえば、矯正が乱暴な治療だからイヤだ、という説はどうでしょうか?
いやいや、もっと乱暴な治療や大きなリスクを残す治療は、保険診療の中にもいくらでもあります。
しかし日本では、保険診療そのものや、診療内容そのものが排斥されたことはありません。
よく出る不満は、昔から「回数がかかる」「待たされる」「説明不足」であり、診療そのもののダメージや予後ではありません。
これを、歯医者叩きの面から考えて見ます。
一般に、歯医者が叩かれるのは、「回数がかかる」「待たされる」「説明不足」とか、不衛生、横柄な対応などの事例が多いです。これらは治療そのものに対する批判ではありません。
むしろ、根底に
回転率の高さ
安い診療単価
という二大問題があるから、結果として上記のような、主に時間的余裕がないことに端を発するトラブルという形であらわれてきます。
治療そのもので嫌悪されるのは、難しい親知らずの抜歯くらいではないでしょうか。
現在、治療そのものが嫌悪されているのは、主として「矯正(矯正装置がみっともない)」であり、「インプラント(危ない、こわい)」です。
こういうと、すぐに
「そうじゃない
⇒痛そうだからだ」
怖そうだからだ」
恥ずかしいからだ」
マスコミガー」etc
という声が聞こえてきそうですが・・・
この2つの共通点としては、第一に「保険診療ではない」「高額だ」ということがあげられます。
これは、何の根拠もなく、こう言っているのではありません。
その昔(高度成長期)、歯医者が批判されたのは、「差額徴収(歯医者は金儲け主義)」と矯正治療だからです。
ここで、差額徴収と混合診療のまとめを簡単におさらいしておきます。
◇ 差額徴収まとめ
金歯 1本5万
銀歯 1本1万(保険)
どっかのオマケとは、色が逆ですね。
銀歯は、窓口では3割負担なので、この計算では3000円になります。
ところで、金歯と銀歯(10割換算)の差は4万円あります。
そこで、3000円に、差の4万円を足した、合計4万3000円を払うと金歯になります。
ちょっとだけ(7000円)だけど、金歯が安くなりました。
国としては、金歯なのに保険を使われて、ムダだ!と思ったようです。
民間やマスコミからの金儲け主義批判もあり、昭和51年課長通知で、廃止しました。
結果として、金歯で微妙に悩んでいた層で、あきらめて銀歯に流れた人が多く、
むしろ保険分の歯科医療費が上がる結果になりました。。
◇ 混合診療まとめ
<パターン1 混合診療>
ある疾患に対して、一連の治療エーと治療ビーが行われて完結するとします。
この場合、2つのパターンに分かれます。
治療a(保険診療 3割)
治療B(自由診療)
<パターン2 混合診療禁止>
治療B(自由診療)に至った段階で、治療a(保険診療)の7割(お上が負担する分)
も出せ、というのが混合診療禁止です。
治療a(保険診療 3割)
治療B(自由診療)
+
治療a(保険診療 7割)
なぜ後で治療aの7割を徴収するかというと、一応「国庫(や保険料)の負担が大きいから、
という説明です。
このように、少なくとも局所だけを見ると、混合診療禁止の方が患者負担が大きいのです。
もちろん、どのような”商品”にせよ、高いよりは安い方が良いに決まっています。
また、厚生省(厚労省)としても、国民の血税、じゃない、保険料で賄う物なので、つねに、野放図な大盤振る舞いを慎まなければならない立場なのは理解します。
しかし、以前から、こと医療に関しては、診療単価に限らず、医療システム全般に対する独特な観念があるような気がしています。
◆ ヤブ(野巫)医者伝説
とりあえず江戸時代から考えて見ます。当時の規範が、自由化・平等化よりも安定化・固定化を第一に考えた政治体制だったこともあり、医師・歯科医師・薬剤師の国内での地位は今では考えられないほど低いものでした。医師は一部を除いて、今で言う
“霊能者 兼 ファンタジスタ”
みたいなものでした。
「野巫(ヤブ)医者」ということばがそれを端的に現しています。
彼らは村人や町人たちの仲間ではないので、村や町には居を構えず、「野」という外野にいます。
普段は薬草や、人によっては漢方や蘭学の研究をし、村人からお呼びがかかると、出番です。
野巫(ヤブ)なので、山窩(サンカ)のように渡り歩いたりはせず、多くは定住はしているようです。
サンカと言えば、五木寛之の著書が有名ですが、最後のサンカと呼ばれた人が、ちょうど私の出身地のすぐそば、静岡県三島市~函南町のあたりで昭和30~40年代に確認された、という話をどこかの本屋で立ち読みしたのを懐かしく思い出します。
それでも、野という「ムラでない外野」にいるので、いわゆる「ヨソ者」です。
その他は今回は手短にしますが、
医師 ~野巫、香具師
歯科医師~大道芸人(抜歯)、木彫師・入歯師(補綴)
薬剤師 ~藤内(とうない;富山の置き薬の源流)、香具師
などは、いわゆる特殊技能者であり、普段ムラ内部で接する人種とは異なるわけです。
昔は、今のような健康観は全くなかったので、彼らの仕事は基本、せんじ薬を飲ませたり、加持祈祷、心霊治療w、パフォーマンス(抜歯が典型)wwwwww etcでした。
江戸時代の医療は、ほとんどその場限りに近い、姑息的な処置なわけです。
予防歯科とか長期経過観察のような、西洋医学的な継続処置がほとんど存在しません。。
医学的な継続処置を前提にすると、そこに医者(=ヨソ者)が長居するのと同じ意味になり、
どうにも肌が合わないのではないかと推察します。あくまでも憶測ですが・・・
そうえいば、秋田県に、医者が居つかないので有名な無医村がありますね。
名前は忘れましたwww
あのイメージに微妙に近いと思うんです。
村内部に居つかれてしまうと、空気が合わないから、トラブルの元になってしまう。
あ、あくまでも憶測ですが・・・
◆ 医療(≒ファンタジスタ)管理主義
そんな野巫医者や大道芸人や香具師やファンタジスタetcでしたが、明治時代になり、西洋医学に鞍替えします。
時代が変わり、昔風の医療やパフォーマンスは禁止されてしまったからです。
しかし、貧乏人を診ないで追い返したりする、上から目線な風潮がはびこりました。
「医者(=元ファンタジスタ)のクセに生意気な!」
今は、医学部の偏差値が高いので、医者は高級な仕事のような感じですが、その昔は全く違います。
なにしろ、ついこの間まで加持祈祷が得意技のファンタジスタwですから。
そこで、明治4年に「医制」という医師法(医師取締法)の原型ができました。
貧乏人だからと診ないで追い返すと、最悪禁固刑です。これが「応召義務」のはしりです。
そのほか、除霊wやパフォーマンス等を医療行為として行うことの禁止、医師免許の要件についてなどのさまざまな規定がととのえられました。
また、明治後期~大正時代には、医療費の軽減のために、済世会病院(明治天皇)、軽費医療運動(鈴木梅太郎)
などの潮流もおこり、一部に医療保険制度もできあがりました。
ただ、戦前の医療保険制度は、労働者とその家族のためのものであり、今のような「全国民のもの」という建前ではありませんでした。
戦後は、それが皆保険制度に移行していきます。歯科は昭和33年に移行しました。
戦後民主主義の風潮を経ながら、岸~池田内閣の所得倍増計画に象徴されるような
「国土の均衡ある発展」「一億層中流」と潮流を一にしています。
なにしろ国民全員が保険証を持っています。
「うちは保険は診ません」
そんなところには、誰も行かなくなってしまいます。
仕方なく?!保険医療機関登録をするしかありません。
そこで、保険診療による、おもに金銭(診療報酬)の流れと許認可(保険医、保険医療機関)を通じて、厚生省が医療を管理していく体制ができあがりました。
この体制については、ケケΦなどのごく一部をのぞき、国民のほぼ全員の支持を得ています。
諸外国に比べて、応召義務や現物給付など圧倒的に患者有利だからです。ほとんど既得権益、利権です。
語弊を恐れずに言えば、保険制度は、医療に対する国民の既得権益でもあるわけです。
と同時に、藪医者の時代から続いてきた、伝統的な医療者統制のひとつでもあります。
でも、中野剛志先生ではありませんが、私は何事も、内実を精査せずに「既得権益だから悪だ」「規制だから悪だ」と一概に決め付ける、みんなの党(でも音喜多駿先生都議選ご当選おめでとうございます)や西側維新や記者クラブのような大根切りは、いかがなものか、と考えます。
はっきり言って、保険医療制度のような、国民にとって「よい既得権益」「よい規制」も厳然としてあるじゃないですか。それに日本国民であるということだけで、他の多くの外国に比べてパスポートの力も圧倒的に強いし、社会保障も経済も非常に有利ですよね。この、日本国民だということも考えてみれば立派な「よい既得権益」です。(当院を訪れる外国籍(おもに途上国)の患者様を診るにつけ、そう思います)
ですから、新藤総務大臣いわく?「総論反対、各論賛成」のような、先入観にとらわれない柔軟な視点が第一に求められると思います。
(聞いてるかケケφ?自由真理教とか、もう古りぃ~んだよ)
規制といえば、現在は保険制度、戦前までは医制、そして江戸以前の時代は、じつは身分制度がありました。
士農工商という言葉がありますが、それに合致しない多くの特殊技能者などが多数いました。
代表的なのが芸能人(歌舞伎、能、踊り子etc)です。その他医療系とか、サンカなどもそうです。
それらの身分の人たちは、士農工商の「外」とされました。
「下」というよりか、「外」です。
この辺はほとんど詳しくないのですが、今も昔も、とくにムラ社会や共同体の中で、上下差別よりも内外差別のほうがよりキツイのは、誰でも肌身で実感したことがあるのではないでしょうか。
だから、江戸以前はムラの外に出すことで統制し、明治以降は法律で管理する。
自由気ままな風来坊とか、ブラックジャックとか、スーパードクター何とかみたいなのは、物語としてはいいですが、実際どの先生もそんなスーパー自由人だったら、それもどうでしょう??
ほとんど医療共産主義のような皆保険制度ですが、案外ムラ社会の日本人の肌に合うところがあるのではないかとも思います。
「特上」は出ないけど、「並」~「並と上の間」で大体クオリティが揃って、まず「外れ」がない。これも、戦後民主主義的な感覚からしても、安心材料ですね。
このような制度設計を「『ソフト的な』社会インフラ」と捉えれば、確かに国民の安心材料です。
◆ 禿髪、肥満と、歯科疾患の”社会的認知”
しかしもちろん、健康なときには、医者にはなるべく世話になりたくない、と思っています。
歯の問題や、禿髪、肥満くらいなら大したことないし、医者にかかるよりは、放置しておく。
それが当たり前になる。
禿髪も、歯の問題も、このような社会的認知さえあれば、決して恥ずかしくはありません。
だから、もし歯科疾患でも歯が痛くならないなら、むし歯や歯周病の放置が早晩社会的認知を得られるであろうことは、想像に難くありません。
あんな予約を取ってまで痛い思いをしなくても済むなら、誰が歯医者になんか行くでしょうか。
痛くもなく、さして不便でなければ、歯医者に通ったりすることもないでしょう。
そうすれば、50代~60代などになれば、無歯顎の人も今の何倍も多くなるでしょう。
しかしそれが当たり前になっているわけです。
たとえば知人に「歯が欠けてor抜けて食べにくい」と相談しても、
「そんなもんだよ、僕もそうだし。歯の寿命だし、仕方ない」 とか
「不便だったら入れ歯かインプラントでも入れておけば?」 とか
こんなそっけない答えが返ってくる世の中なんでしょう。
「食べにくい」と感じれば、入れ歯でも入れておく。
鉤歯がダメになって抜歯になったら、さらに大きな入れ歯に変える。
歯がなくなったら、総入れ歯にする。
この過程で、嘔吐反射が強く、入れ歯を入れていられない人のなかで一部経済的に余裕がある人の場合は、インプラントを検討するのかもしれません。
昔TVをにぎわせた「きんさん ぎんさん」のきんさんの方も、無歯顎のまま顎堤(土手)だけで、何でもご飯を食べていて、何の不便もなかったとのこと・・
多くの方は、きんさんのような感じになることでしょう。
見た目が気になる人は、入れ歯を入れるのかもしれない。
しかし、下手に入れ歯を入れたりすると、がたついて合わなかったり、しゃべりにくかったりしますよね。
入れ歯安定材は、やはり手放せないものになるでしょう。現在もそうですがw
また、とくに合わない入れ歯を入れると、顎堤吸収が促進され、土手がより早く痩せることになります。
そこで、どうせ土手が痩せるくらいなら、普段は入れ歯を我慢しよう、などということにもなりかねません。
そしてそれが当たり前になっているわけです。
たとえば知人に「土手で咬むのは、痛くて食べにくい」と相談しても、
「そんなもんだよ、僕もそうだし。慣れれば唐揚げでも天ぷらでも大丈夫」 とか
「不便だったら入れ歯かインプラントでも入れておけば?」 とか
こんなそっけない答えが返ってくる世の中なんでしょう。
では、歯周病についてはどうでしょうか。
以前は歯石や歯周組織について全く知見がなく、まさに 「 歯 の 寿 命 」扱いでした。歯周病にまつわる不便な点は
グラグラしてくると咬みにくい
口臭が気になる
たまに腫れる
歯みがきで出血する
などが考えられます。
が、これらは病気というよりも「不便」として捉えられることでしょう。
「口が臭いなんて、キメー、無理」
と思う方もいるかもしれませんが、そんな時のためにリス○リンもあります。ガムもあります。
今でも、当院では、男性の方が上記のような内容を主訴に歯科医院に初診来院されたり、問診票に記入するケースはほとんどない感じです(女性ではしばしば散見されます)。
また、歯が原因の口臭がある場合、たいていは、中程度レベル近くか、それ以上まで歯周病が進行しているか、神経まで侵されているようなむし歯の大穴がある場合が多いものです。
それは、歯周ポケットや歯の大穴など、複雑で手入れができない部分の空間が生じて、そこに雑菌がたかり、腐敗物を産生し続けるからです。。
もちろんこれらの処置は、たいていの場合、数回以上かかります。
でも、”痛くない”んだから、治療に通う方が面倒ですよね。
「しっかり咬めることで寝たきり防止」という考えも、最近はあるにはあります。
しかし、当人にとってみては、そんな寝たきり防止のために歯をわざわざ残したり入れ歯を作らされたりするのも、面倒極まりない話っちゃ、そうです。
しかも、入れ歯を安定させるために、わざと歯を抜かなければならない(便宜抜去/戦略的抜歯)場合も少なくない。
そんなことをされるのも、さらにおっくうな話です。
このように、歯が崩壊したり、なかったりしたとしても、本人にとっては別段『困ること』は起こらないわけです。
「しっかりかんで寝たきり防止」「ゴルフのスコアが伸びる」などと言われても、「慣れれば唐揚げでも天ぷらでも大丈夫」と返す人が大半の世の中だったら、そこまで必要性を感じない、というのがコンセンサスになってしまうのでしょう。。
◆ 歯が痛い と 歯が悪い の間の遠い距離
以上、2回にわたって、「もし歯科疾患が痛くなかったら」ワールド、という仮定の元で、主に憶測に基づいてですが、一般の方がどのように考えるであろうか、プロファイリング 考察 空想してみました。
その結果は、遺憾ながら、現在の感覚からはかなり退化したような内容でした。
今まで書いてきたようなことを言うと、お叱りの言葉をいただくかもしれません。
「お前が歯を大事にしろと言うから、私は○カ月おきに健診に通って大事にしてきたのに」
「根本は予防が大事だと言ってきたのはウソだったのか」
もちろんおっしゃるとおりです。が、我々は日本人でもあります。
たまたまありがたいことに現在のところは「予防が大事だ」「健診に行きましょう」みたいな考えが普及しつつあります。
しかし、もし日本が、今まで書いてきたような『歯が痛くないワールド』だとしたら、どうでしょう?
わが国においては早晩
「一般人は大体みんな行ってないから」
「いちいち行かなくていい感じだから」
という社会的コンセンサスが早々と形成されることでしょう。
そして、歯医者には行かない方が当たり前、的な空気になってしまうんでしょう。。
仕事とかお付き合いで、仕方ない人は、歯を整えておかないとステイタスがどうのとか写真映りがどうのとかいろいろ面倒だから、整えておく。
そうでない人は、痛いわけでもないので、あまり歯の保存や延命に関心がない。。
これでは、一般に歯の治療や予防が普及した状態とは、とても言えませんね。
歯が痛くなければ問題なしとして放置することは、遠くない将来の、歯の崩壊や咬合機能の崩壊に直結します。
しかも、傷口と異なり、自然治癒力がありませんから、必ず直結します。
人間にとって、歯とは何なのか?
歯が自然治癒力がないことは、人間にとってどんな意味があるのか?
考えてみれば不便で面倒な「歯」。いろいろな切り口や意義があると思います。
それらの切り口や意義はもちろん、私が上から押し付けるものではありません。
おのおの環境や考えは異なると思いますので、皆様各自で熟考いただければと思います。
ただ、その際はせめて最低限
この事実だけは下敷きにしていただいた上で、各位ご高配いただきたいと思います。
【今回のまとめ】
歯が痛い/痛くないを突きつめて考えると、人生における歯の意味、治癒力の意味に辿り着く。
(おまけ)推薦図書 不潔の歴史
昨今の潔癖症は、最近のアメリカの流行の後追いのようです。またまた毅然として対米追従です。いっぽう現在、当のアメリカ自体は、ややそれを脱しつつあります。原因はおもに、1%対99%な経済問題です。