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今年は朝顔を 大量に咲かせて遊んでいます
重たい歴史の暗部に ぶち当たりましたので 今回は 書き留めようと思います
曲独楽の歴史を調べていて いつも わからなくなる点があります
書面で 記録に残すということが 曲独楽の芸の場合
政治・経済・歴史に影響が少ないから 江戸時代の話は まず わかりません
一番古い記録は 江戸時代の曲独楽師として
お客さんを集めたことで話題に残っている
博多の曲独楽名人の京都四条河原での公演のことですが…
私が興味があったのは
どういう経緯で博多の曲独楽が
今に近い形を 大陸・朝鮮・じゃがたらルートから伝わったであろう コマの動きから導いたのか
そういう事だったんですけど
愛媛県の内子町に住んでみて
少しわかってきたのが
歴史を本当にちゃんと 見ていかないと 想像力が 働かないということです
このあたりには 以前ちょっととりあげましたが
山口県・周防大島からの大工技術の流入で 山のはるか上に 立派な寺社の建築が可能になり
あちこちに残っているという 「長州大工」の話が 伝わっていました
それこそ 生活している日々で 通勤通学の日常の途中にそういう史跡が あります
調べ始めたのは ほんのちょっとのきっかけでした
知人の書いた本が たまたまその関連の本だったからです
(かわせみ に置いてあった小さな古い像が その長州大工が作ったものに酷似していて驚きました)
私の 歴史調べにとって 一番の問題点は
東京・豊島区の実家近くにも 史跡はあるけど 見つめる機会を作ってこなかった…
(そういう自分の情けなさも ありましたが)
人の移動の歴史が 理解できていないと 一緒に動く文化が見えてこないということ
そういうことです
めげずに ちょっとずつ 調べていくと
やはり登場するのは 寺・僧・神社・儀式ということとの 関連なのでした
どうして いつも 寺社の儀式や 僧が関係していたのか その理由をしっかり確認する意味で
暮らしぶりについて 知っていかないと
つきとめるヒントも 想像できないという事になり
今まで見てこなかった 飢饉・地震・戦乱・貧困のことも しっかり 関連があると
イヤでも 見なくちゃいけないんだなと
思ったのです
最近の話ですが
知人が管理している歴史史跡が火事になり
世界的にも貴重な文化財が灰になったという事がありました
そこには 困窮した人の心の救済をするため 各国を布教した歴史の名僧の木像があったのですが
今はもう ありません
残念なことです
調べている最中に そういう事が発生すると また一層
歴史を知らなければ
私たちは
もしかして
日常の情報の 量と 速さに
人として 学ぶべき大切なことを
失って
人として何もかも
打ち負かされてしまうのではないでしょうか
ともかく
頑張らなくちゃ いけないようです
「日本の人は 武器を得るために海外に売られていった」
そういう歴史に 突き当たったので
ともかく びっくりして 今回は ここまでとします