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ええと、唐突ですが、僕の趣味は登山です。 ようやっと2000mクラスですが、けっこうな頻度で登ってます。 で、山で最近よく見かける、こじんまりした一風変わったザックにローカットのカラフルな靴を履いて、登山道を走っている方々。 山で走るなんてイカれてる。なんつう体力してんの?って、颯爽と駆け抜けるのを奇異な眼差しで見送っていたのですが、 気持ち良さそうなので、僕もやってみることにしました。 とは言ってもいきなり山で走るのもどうかと思い、自宅の周りをジョギングするところから始めたのですが、 距離を伸ばす快感を覚えまして、3キロから6キロ、次は8キロとしていくうちに、今日は15キロ走ることができました。 ものすごい達成感。充実です充実。まだまだ始めたばかりなので、この程度のことでもすごく嬉しいんです。 しかし、妻に話しても、なんか反応が希薄なので、寂しくなってこの場をお借りして主張します。 すげえだろ。
さて、本編。
Iちゃんを描く。
描き出しながら考えたことは、「どんな風にIちゃんを描くか。」 Iちゃんに対しての「叙情」を描き記し、その堆積が僕の表現方法だとは思うのだが、 様々な作業をしていくうえで、そこまでハッキリと突き抜けられないことが、僕自身の大きな問題であり、 その問題の原因となっている部分は僕が培ってきた技術の断片だったりで、完全には否定できず、 またグルグルするであろうことが見てとれる。描き出しの段階から。如実に。
時々、「ああもうしらねえ。」と思ったりもしますが。いい意味で。
似てなければ駄目だ。これだけは確かだ。
…似た。
「叙情」これは本当に難しい。 それに乗り過ぎると、絵肌(マチエール)ばかり追うようなただの絵具遊びに陥いったり、気分だけで色を配置したり、 とにかく、「なんとなくイイ感じ」という、とても曖昧な誤魔化しを堆積することになる。 しかも、その良さは時間限定な代物で、二度と見たくないような上っ面だけの遊びだったりする。
うーん自分で書いてて何言ってんのかさっぱりわからない。
まあいいや。
ひとまず今回は新ルールだ。
個有色にこだわらず、カタチ(3次元的空間のことではない)を考えよう。