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2013/08/05

長い、長い夢を見た。

夢の中でわたしは階段を上っている。石造りの堅牢な手すりを掴み、一歩一歩、何かに引っ張られるようにして歩いて行く。らせん状に繋がる先はいつ果てるともなく続いていて、ともすれば疲れてしまいそうに思えるのに、なぜか疲労感は全くない。仰いだ階段の先はぼんやりとした光に包まれていて、そこへいくことがなぜか非常に幸福なことのように思える。早く辿りつきたいような、楽しみが手に入ることが惜しいような。
複雑な気持ちでわたしは階段をのぼっていく。

 

たかが夢ではある。
でも、なぜかその夢を見てからわたしの調子は非常に良い。初めて入った店ではあるが美容師の腕がよかったし、仕事ではたまたま取っておいた古い資料を上司が急に必要として株をあげ、このところ忙しさにかまけて連絡を怠りがちだった恋人からも電話が来た。普段はさえない年増を自認している身からすれば、棚から牡丹餅のような幸運の立て込み方だ。

だから、わたしはその夢をジンクスのように心にとめた。

一歩ずつわたしは幸福に向かって歩いている。階段の先にはきっと天国のように幸せな場所があって、今はその場所へ向かっている時期なのだ。根拠も何もあったものではないが、不思議なものでそう念じるようになってからはいろいろなことがとんとん拍子に進んだ。今まで再三移動願いを出しても叶わなかった念願の部署へ配属が決まり、それに伴って些細ではあるが昇進もした。わたしよりも多忙であるはずの恋人はわざわざそのお祝いの席を設けてくれ、おめでとう、と言ってシャンパンの栓を抜いてくれた。

「最近、調子いいみたいだね?」
「そうなの。自分でもびっくりするぐらい」
「いい傾向だよ。君は頑張りやだと思うけど、なんだかこの頃は肩の力が抜けたみたいだ」

恋人はなんだか嬉しそうに笑い、フルートグラスを傾けた。

「今まで、そんなに力入ってたかな」
「まあね。夢に向かって頑張ってたから、そのせいかと思うけど」

夢、という単語にどきりとした。あの階段の夢は恋人にもまだ話していない。

叶ってよかったね、と彼は言い、わたしはどぎまぎしながら頷いた。
頷きながら、確かにそうだったかもしれないと少し、思った。

ずっとやりたい仕事だった。今の会社に入ったのも、その業界ではシェア1位だったからだ。創業者のイメージが良い意味で苦笑を持って受け入れられる社内風土も気に入った。だから今までずっと、その分野の前線に立ちたいと思ってきた。自分の言葉で顧客に商品の魅力を届ける仕事がしたかった。そのためにしゃかりきになって働いて、いつもわたしは忙しなくて、気持ちだけが急いていて、だから今までもあったかもしれない幸運を見逃していたのかもしれなかった。

「夢のおかげかも」

一人ごとのつもりだったのに、恋人はん?と柔らかく聞き返す。
頬笑みを返しながら、これからも続くだろう階段の先を思い浮かべて綺麗な泡を飲み干した。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2013/08/05 11:42 | momou | No Comments