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医学部も高学年になり、聞かれることが多くなるのが、
「将来は何科のドクターになるのか」
という質問だ。僕はこれに、
「まだわかりません」
と答えることにしている。
そうすると、たいていは意外そうな顔をされる。不真面目な医学生だと言いたげなこともある。
いや、しかたないんですよ、これで。
現行の初期研修、つまり一般的に研修医と呼ばれる期間は、スーパーローテーションという制度に基づき、1〜2ヶ月という短い単位をベースにしてさまざまな科をひととおり回る。ちなみに、この制度は2004年にはじまった。
専門を決めるのは、2年の研修医が終わってから。そこからの2年を後期研修と呼び、より専門的な研修がなされるが、厳密にはこの期間も身分は研修医である。患者に最若手との誤解を与えかねないので、“シニア”と表現したりする。
では、かつてはどうだったかといえば、一年目から自分の一生の診療科を決めていた。この時代のなごりか、スーパーローテーションの制度を知らなければ、そんなんでコイツ大丈夫か、となるのもまあ不思議ではないのだけれど。
スーパーローテーションがはじまる以前、研修医は基本的に自分の科と関連の強い科しか経験しなかった。
たとえば内科志望なら循環器、消化器、呼吸器……と各内科をひとまわり、外科なら同様に~外科とつく科を一通り経験こそすれ、内科志望の医者が外科を回るようなことは、ほとんどなかったようだ。
現行のスーパーローテーションであれば、とりあえずすべての診療科を経験することができる。たとえ1〜2ヶ月でも、まじめにお仕事をしていれば、各科の代表的な疾患の初期対応くらいはできるようになる(はず)。
つまりは、オールマイティーな医者がつくられる。これこそが、スーパーローテーションの最大の狙いだったようだ。
一方、このスーパーローテーションのデメリットは、研修医が“興味のない科を流す”こと。自分の希望する科とはっきり関連の薄い科について、興味を持てるか否かは各個人のスタンスによる。
これは受け入れ側にも言えることで、たとえば内科医志望を明言している研修医と、外科医志望の研修医とであれば、外科の指導医がより熱心に教えたいのはどちらだろうか。
スーパーローテーション以前は、純粋な興味ひとつ、あるいは先輩医師の強い勧め(医者の世界は体育会系の気質が強い) で診療科を決めた。住めば都とはよく言ったもので、そのままその科を一生の仕事にすることが多かったようだ。
しかし現在、憧れやイメージではなく、具体的に各診療科を体験してから進路を決定できるようになったことで、はっきりと各科の現実が見えてしまうこともある。
もちろん基本的に医師はラクでも割のいい仕事でもないが、比較の問題として“キツい科”“割の悪い科”にはひとが集まらなくなった。初心を失い、打算的な選択をする可能性は、僕自身にも100%ないとは言い切れない。
治療に関してはインフォームド・コンセントが叫ばれるくせに、研修医に当然なされるべき説明がなされたとたん、医師が足りない科でとくに研修医の同意が得られなくなったことは、なんとも皮肉だ。
これらの事情を鑑みても、学生のうちから“●●科”志望を口にしてまったく顧みないのは、リップサービスや自己アピールの意味合いが強い。だってまだ体験していないのだから。
いや、もちろん確固たる自己を持って朗々たる宣言をしている医学生もいるにはいるが、そういう向きには一種の危うさを感じる。迷うほうが当然じゃないのかな、と思う。
なんて斜に構えてはみたものの、そんな僕にだって興味のある科はあり、研修はその科を重視するプログラムを、就職予定の病院に組んでもらっているところだ。
何科になる、と断言はできない。どちらかといえば、何科にはならない、となら断言できる(回らない科はもう決めたから)。
願わくば、僕の興味のある科の現状が、僕にとって 受け入れられるものであればいい。
そういう期待をこめて、また、みなさんがここまでの事情を把握して頂いたうえで、あえて宣言するのなら、僕は緊急呼び出しも当直も訴訟も多い産婦人科医になりたいと思っています。