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2013/06/26

数日後、探偵をしている友人からメールが届いた。
あの人の先祖のことを調べてもらったのだ。

あまりに気味が悪く、この件にはあまり関わりたくないので、
手短に、そしてメールにて失礼する。
まず、結論から言わせてもらいたい。
ご依頼の、あの女性については、
あの町に由来するような先祖は存在しなかった。
君から聞いていた祖母方の先祖はもちろんのこと、
その他の方面の先祖のことも念のために調べたが、
一切あの町との関わりはないと断言できる。

そして、不思議に思ったので、
やはり念のために、君の先祖についても調べさせてもらった。
こちらも彼女と同様、祖母方はもちろんのこと、
いずれの先祖についても、あの町に由来する先祖はなかった。

神社の宮司には電話で連絡をして君のこと、
及び彼女のことも尋ねてみたが、
彼女はもちろん、君も尋ねて来ていない、
それどころか、取材のアポをとったきり、
すっぽかされたことを怒っていた。
もちろん、そんな因縁話など知らない、
との回答だったよ。
つまり、君はその神社に行っていない、
もしくは、行ったかもしれないが、
宮司には面会していないということだ。
取り急ぎ、用件のみ。

友人よりも薄気味が悪いのは私だ。
いったい私は・・・いや、私かどうかさえわからない「それ」は、
どこで誰に会って、何を聞いてきたのだろうか?
私は、2度もあの神社に足を運び、
いずれも宮司に会って話をしているのだ。

自分自身でも困っているが、
さらに頭を悩ませるのが、あの人への報告だ。
単純に「関係なかったです」で済ませられる話でもない。
手元には、どの手紙も揃っている。
釈迦成道の寓話を書いた3通目こそ鑑定していないが、
見る限り筆跡は間違いなくあの人のもの。

友人の調査結果に偽りがないとすると、
これまでの私の経験すべてがひっくり返る。
これは裁判での真偽論争ではなく、
私の主観と客観のギャップの問題であるから、
落としどころが見えない。
私にはあの町に行った記憶、神社での記憶、
すべてが存在し、
調査結果はそれらの中で、人と関わった部分を
すべて否定しているのである。

到底私一人で解決のつけられる問題ではない。
しかし、どうしても解決をしなければならない、
そんな問題でもない。
どういう結果になるかはわからない。
しかし、あの人にはありのままを報告しよう。

私はあの人に手紙を書いた。
まず、私の主観、つまりあの町の駅から神社、
いたるところであの人の姿を見たこと。
あの人と思しき人から、私を見たという手紙が来たこと。
その手紙はあの人の筆跡と同一だったこと。
そして現地まで行って調べたこと。
宮司から聞いてきたこと。
帰宅したら釈迦の寓話の手紙が同じ筆跡で来ていたこと。

そして、客観的事実として、
友人に調べてもらったこと。
つまり宮司から聞いた話について、
否定する証拠しかなかったこと、
そもそも宮司に自分が会っていなかったらしい、ということ。

整合性のない手紙だったが、
私は見たこと聞いたこと、すべて書いた。
これを読んであの人がどう思うかはわからない。
第一、現実のあの人に届くのかどうか・・・。
そうだ、私に出来ることはただ一つ。
直接届けることだけである。
会わなくとも良い、郵便受けに入れるまでである。
それで、配達ミスだけは防げる。
善は急げ。

数日後、私はあの人と、筋向いにすれ違った。
あの人も私に気づき、頭を下げた。
上品な美しい着物姿だった。
行き違って次の瞬間、私は振り返った。
間違いなく彼女自身だ。
消えたりしていない。

雑踏の中で呟いた。
あの人はあの人でいてくれたらいい。
変わらずあの人自身であり続けてほしい。
そんなあの人だからこそ、私はときめいたのだから。
因縁の有無など、もうどうでもよかった。
あの人は、あの人なのだ。
どんなに変化しようと、あの人なのだ。

・・・私やあなたが生まれ変わっても・・おそらく。

2013/06/26 02:04 | bonchi | No Comments