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2013/06/21

葵さんは手元の時計に視線を落とした。あと30分で店を出なくてはならない。今日はミーティングがあるから一度店には出てきたが、このあと同伴の予定が入っている。さっきのメールでは近くまで来ていると云う話だった。ありがたいことだと葵さんは痛感する。

シングルで子育てをするのは生半可な覚悟ではできないと思っていた。昼間は馬喰横山で経理の仕事をしているが、それだけではとても首が回らない。今年四歳になる息子には片親の苦労をさせたくないと考える葵さんは、だから夜の仕事に飛び込んだ。息子は葵さんにとって無制限の愛の注ぎ手であり、恋人である。ママは浮気しないからね、そう指きりげんまんをすると息子は葵さんに向かってにっこり笑う、「ママ頑張って!」天使のような表情でそう言われては張り切らざるを得ない。

幸いなことにお店にもお客さんにも恵まれて、葵さんはこの店のナンバーワンだ。

「というわけで七夕にはちょっと変わったイベントをやりたいと思うの」

ママの言葉に新しモノ好きのめめちゃんが顔を輝かせる。葵さんが思うにこの店は既に大概変わっているのだが、その中でも群を抜いて変人――もちろんこれは褒め言葉――のママの思い付きは大抵突飛もないことばかりだ。七夕にイベントをやる、だから指名ノルマを引き上げる、これは理解できる発想だ。しかし今までもそうならなかったし今回も同じだろうと葵さんは少しだけ頬を緩ませる。

「とりあえず葵には絵を描いてもらうから」

案の定予想の斜め上の指名が来た。葵さんはとりあえず頷いたが、それが変わったイベントの目玉になるのは正直微妙だった。そんなに下手か、私の絵は。

葵さんは絵が下手である。あり体に行ってド下手である。息子ですら判別できない生命体を描いてしまう、これは酔った葵さんの悪癖だ。しかし葵さんとしてはそこまでじゃないと思っているので憮然としてしまうのである。舞夢ちゃんだってお世辞にもうまくないのに、この店では葵さんの絵がド下手というのは常連の間では定説になりつつあるらしい。

「だから葵ちゃんはよく飲んで頂戴ね」

凪子さんからも駄目押しが来て、葵さんは内心がっくり項垂れる。隣ではかなんちゃんとうる実ちゃんが「酔った葵さんは最強だから」と褒めているんだかなんだか良く分からない言葉を交わしているが筒抜けだ。まったく。ママはそんな葵さんの内心に頓着することなく、キャストの女の子たちに細かく課題を与えている。舞夢ちゃんにはバレエ、うる実ちゃんには歌。めめちゃんにはお札の早数え、かなんちゃんにはマイナス五歳肌。最後のは正直どうなのと思ったが、自分よりはある意味ましだろうと思って葵さんは口をつぐむ。

「というわけだから、皆頑張って集客するように」

重々しいママの言葉でミーティングはひとまずお開きとなり、女の子たちはそれぞれ持ち場に散って行く。黒服くんたちがそれを追いかけて、指名の予定を尋ねて回る。葵さんは新婚ほやほやの黒服くんの幸福そうな笑顔に予定を告げ、ハンドバックを持って立ちあがった。脳裏に浮かぶのは愛しい愛しい息子の顔だ。

ナンバーワンの顔になって、葵さんは扉を開ける。ママ頑張ってくるからね、と心の中で発破を掛けて。

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※この連作は「ClubJunkStage」との連動企画です。登場人物は全て実在のスタッフ・ライターをベースにスギ・タクミさんが設定したキャラクターに基づきます。→ClubJunkStage公式ページ http://www.facebook.com/#!/ClubJunkStage(只今ご予約受付中です!) ※イメージフフラワー選定&写真提供 上村恵理さん

2013/06/21 12:00 | momou | No Comments