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2013/06/16

この階段の踊り場から見る空は、いつも夜だ。

手すりをバー代わりにして、舞夢ちゃんはくるくる回りながら考える。さっきのレッスンで注意されたこと、今日来店するはずのお客様のこと、明日の予定。考えることはいっぱいあるが思い悩むことはしない。悩んでもどうにもならないことは絶対どうにもならないし、明日は絶対今日よりいい日だと舞夢ちゃんは信じている。

ターンを華麗に決めて、舞夢ちゃんは階段を駆け上がる。走ってはいけない、踊っても駄目と先日ママに注意されたことをちらっと思いだす。いつでもどこでも跳ねたくなる脚と、踊りたくてうずうずする身体は場所をあんまり選ばない。お店の中ではせめてしとやかに振る舞おうと思いはするが、舞夢ちゃんはその決意を5秒で忘れ、お店のドアを元気よく開ける。

「おはようございまーす!」

夕方にも遅い時間だけれど、この仕事の挨拶はいつでも「おはようございます」だ。バレエの教室と同じ。舞夢ちゃんは実はそこも気に入っている。

更衣室には先に来ていたマコトさんがいて、鏡に向かってお化粧をしていた。机の上には読みかけのガイドブックが伏せてあって、また旅行にいくのかなあと思う。この店のナンバー嬢だというのに、ほいほいマコトさんは旅に出ていて、舞夢ちゃんはそれがちょっと羨ましい。

舞夢ちゃんにとっては、東京が既に旅先みたいなものだった。一念発起して、ようやくようやく辿りついた街だった。

当たり前といえば当たり前のことではあるが、地元の秋田から見れば恵比寿は大都会だった。人通りは途切れないし、車も多いし、夜はネオンで燦々と明るい。農協で働いていた時は定時で上がるともう外は暗かった。免許を持たない舞夢ちゃんは徒歩で職場に通っていて、薄暗い路を踊りながら戻ったものだった。カエルの合唱をBGMにして。

バレリーナになりたい。東京に出て、バレエの学校に通いたい。

小さなころからむくむくと育てていた野望を胸に上京してきたのは2年ほど前だ。目当ての教室に潜り込めたのはいいものの、貯金はたちまちのうちに尽きた。東京の家賃のなんて高いこと! それでなくてもバレエはお金が掛かるのだ。レッスンの月謝はもとより、いい舞台が来れば見に行きたくなるし発表会には揃いで衣裳を揃えなくてはならない。そういう心弾む出費に舞夢ちゃんは糸目をつけなかった。融通のきくシフトだからと最初はファーストフード店でバイトしていたが、微妙に欠ける金銭感覚のせいですぐに首が回らなくなったのは当然のことだろう。それを飲み屋で愚痴ったら、「うちで働けば」と隣に座っていたお姉さんが声を掛けてくれ、それがスージーママだった。踊ることしか頭にない舞夢ちゃんは、それであっさりマックを辞めた。聞けばその店にはオペラが歌えるホステスも日舞が出来る黒服もいるというではないか。

渡りに船と飛び込んだ世界は、しかしそう甘くない。

けれど舞夢ちゃんは失望をしたことがない。何しろ自分は今毎日踊ることが出来るのだ。この分ではいつか、そう、例えば108歳くらいまでには、プリマに選ばれちゃったりするのではないか?

「きゃー!」

嬉しくなってしまい、舞夢ちゃんは興奮のままに踊り出す。狭い控室にふわりとドレスの裾が舞う。いつか夢に見たオデット姫のチュチュみたいに白いドレスは舞夢ちゃんのお気に入りだ。くるくると回る舞夢ちゃんの後ろにあるドアを開けて、うる実ちゃんがおはようございますと入ってくる。

「また踊ってるんですか? 危ないですよぉ」
「ごめんなさい!気をつけますー!」

舞夢ちゃんは踊りながら、元気よく心にもない返事を返す。わたしは今日も幸せだ、そんな気持ちが全身から零れている。そんな舞夢ちゃんを見て、マコトさんとうる実ちゃんが苦笑を交わし合う。ClubJunkStageは、今日も平和だ。

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※この連作は「ClubJunkStage」との連動企画です。登場人物は全て実在のスタッフ・ライターをベースにスギ・タクミさんが設定したキャラクターに基づきます。→ClubJunkStage公式ページ http://www.facebook.com/#!/ClubJunkStage(只今ご予約受付中です!) ※イメージフフラワー選定&写真提供 上村恵理さん

2013/06/16 06:00 | momou | No Comments