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思いだす彼女はいつもカメラを構えていた。今時デジタルではないアナログカメラは却って高価なのだというが、彼女のそれは誰かからのお下がりだったらしい。細い首にはいつも重たそうなストラップが食い込んでいて、なんだか痛々しいもののように僕の目には映った。買い替えたら? そう指摘した時、彼女は笑って首を振った。重いほうがいいの。重たくないと駄目なの。理由は教えてくれなかった。
彼女の写真は変わっていた。
変わっているというか、被写体がまず一般的ではなかった。彼女が好んで撮るのは道端の猫の死骸や煙草を踏みつぶす人の足、投げすてられた空き缶、そういったものだった。普通の人なら目をそむけたくなるような、意識して視界から外すようなものにばかり彼女はレンズを向け、シャッターを切った。そういうときの彼女はなんだか鬼気迫ってすらいた。
僕は彼女の写真があまり好きではなかった。自分の中の後ろ暗いところを覗かれているような気がした。それは僕だけではなかったらしく、彼女の写真は公募展でも黙殺された。それでいいのだと彼女は言った。
「あたしの写真なんて価値はないもの」
「じゃあなんで撮るの? 賞に出すのは評価されたいからじゃない」
他人ごとのように彼女は頷き、それから困ったように眉を寄せた。手元には現像から戻ってきたばかりの写真が並んでいる。モノクロに焼き付けられた光景は都会ならありふれたものばかりだ。ゴミを投げ捨てる人の手。しおれて先が黒ずんだ花束。たった一人で遊ぶ子供。写真の中の景色はその色調のせいだけでなく暗澹たるもののように見えた。
「意味なんてなくていいの、私は私が忘れないように撮ってるの」
「何を?」
「こういうことを。人の悪意とか分かってるけどどうしようもないこととか」
直ぐ忘れちゃうから。放っておいたら目に入らないから。賞に出すのも同じ、と彼女は眼を伏せたまま言った。公募に出せば少なくとも誰かはこの写真を見るでしょう?
「分かってほしいとは思わないの。あなたも私の写真嫌いでしょう」
迷った末に頷いた。確かにずっと眺めていたいというような写真ではなかった。小さく切り取られた風景は否応なく僕の中の汚れた部分を引きずり出す。あれは僕の足、僕の手、僕が殺した猫。実際にそれをしたことがあってもなくても、居心地が悪くなる写真だ。
「胸糞悪いって言われたこともあるよ」
彼女はそう言って、だからあなたが好きだよとキスをした。
おかっぱの髪がさらさらと頬に触れてきた。
今、僕と彼女は直接的な接点を持たない。彼女は都内に残り、僕は地元で仕事を得た。だから彼女の写真を見る機会もなくなった。それは別に悪い事じゃないはずだ。ありふれている学生時代のエピソードとして誰もが所有している記憶だろう。
けれど僕はときどき思い出す。彼女がまだカメラを構えているのだろうかと。
見えすぎるあの目が今日も悪意を切り取っているのかと思うと、それはなんだか痛々しいような気がするのだった。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。