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それぞれが「当たり前」と思い込んでいることがある。
僕は絵を描いていて、それはほとんどの場合、人がモチーフです。 そして、「その人らしく描けているかどうか」を重視します。
妻も絵を描いていて、風景だそうです。 画面にはカタチが何もなく、全体が常に真っ赤です。 「あの感じ、あれが、あれのあの感じ。」を重視しているそうです。
僕の絵の先生は、自分の好きなものを、第三者が単純に見てそれとわかるように描きますが、材料や道具の機能性にこだわり、作業の段取りもしっかりと計画します。同じ構成の絵を何枚も描き、熟練された仕事をします。
もう一人の先生は、材料であったり、道具であったり、作品に関わること全てに、作品の主題との関係性を見出し、象徴的な意味を持たせます。
このように、なにかしら描いたり作ったりする人はなにかしら重視していることがあるのですが、自分以外の人のソレは聞いてみないとわからなかったり、聞いてみてビックリすることが多々あります。
そして、これは、なにも作品を作る世界の話だけではなくて、日常、生活していてもよくあります。よね?
よく聞く話では、「目玉焼きに何をかけるか。」 その話すると皆さんすかさず、
「オレ醤油。」
「うっそー!私ソース!」
「いやいやマヨネーズでしょう。」
「塩でよくね?」
て、なるじゃないですか。あの現象。 そういうことって、けっこうあって、敢えて話すことでもなくスルーされてる。 で、知るとビックリする。
僕の場合で言いますと、なんと、僕、学生生活が終わり、社会に出るまで、世の中の人全員が、もれなく絵が好きだと思っておりました。 実際はちょっと絵に興味がある人を探すのも大変な感じですよね。 でも、ほんと、みんな絵が好きで、「絵という分野で少なからず自信のある僕はなんてラッキーなんだ!」くらいに思ってました。
「野球か、サッカーか、絵か。」くらいな温度で。
そんなだったから、もう、びっくりですよ。
本当の「当たり前」って自分で思ってるより、意外に少ない。というか、物理的な現象以外では無いんじゃなかろうか。
ほとんどは少なすぎる判断材料を少ないとも気づかずに華奢に積んで、「当たり前」と思っているだけだったりする。
だから、もっと色んな人と色んな話をしたいなあって思ってます。
まとまりがありませんが、昨夜、バイトでシフトが一緒のI君から、
「床屋に行ったらそこの主人が自分の描いた絵をグイグイ見せてきてウザかった。」
というホットな話題を提供してくれたので、そんなこと考えました。