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子どもは別に好きじゃなくて、むしろちょっと嫌いなくらい。
病院内の廊下を歩いていたら、ベビーカーに乗せられた少年が、道行くひとひとりひとりに元気よく手を振っていた。
ちょっと驚いて目を逸らす人、そもそもそんな子ども見ていない人、入国審査の列みたいに次々にスタンスを問われて、いよいよ僕の番になった。
僕は少し困ったように笑って、しゃがんで、少年に手を振り、見送った。お母さんらしき人が、しきりに恐縮していた。
ベッドサイドで医者よりさきに、率先して患者さんの手をとっちゃうような医学生が僕は苦手です。分をわきまえろと、そう思います。
酸素がついていたからかもしれない。経鼻的な酸素投与を受けている患児だから、そうしないと血中の酸素濃度が下がって呼吸が困難になるような、たとえば先天性心疾患を疑って、可哀想だから、僕は手を振ったのかもしれない。
だとしたらそれは気色の悪い偽善的な行為だ。
ベッドサイドで患者さんのお話を聞くときは、しゃがんで、患者さんと目の位置を合わせて、と学生は教わる。それを実践している医師もいれば、患者さんを見おろして喋る医師もいる。
でも、別にそれ自体はその医師への信頼とか安心とかとは関係ないような気がする。しゃがんだって嫌われている医師はいるし、見おろしても好かれている医師はいる。
正解がわからない。ならば、とるべき態度はその中道かなと思っていた。
少年を見送ったあと、自分の行動が“too much”であったと動揺し、しばらくそんなことを考えたけれど、僕のからだが自然にやったことについては、不問にしていただきたいとも思った。
願わくば、あの少年の目に、わざとらしくない笑顔として映っていればいい。彼が病院にきた理由が、病気と生きる気分が、少しでも軽くなればいい。
正解はずっとわからない。
朗らかに笑って省みない、素敵な明るさを持って生まれたかったけれど、もう手遅れだ。せめて、朗らかさに似たなにかを手に入れるために、もう少し足掻いてみようか。