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2013/04/26

皆さん、おはようございます。
さて、それではいよいよ、
バタフライという作品から私が発信する主題について、
ご披露申し上げましょう。

それは、やはり人間が差別大好き動物である、
ということです。
そして、非難できる隙が相手に出来ると見るや、
仲間内であろうとも、容赦せず非難し、
相手を劣位に置きたがる、という性質についてです。

これは、国際間レベルにおいてもそうだし、
家族間という最小単位においてさえそうである、
そしてそれが心の傷として残り続けるのです。

これをどういう切り口で見せるか、聴かせるか、
ということですけれども、
キャスト各人について、その役である、という以外に
別の立ち位置を役に内在させてほしいと考えています。

やっていただきたいことは、
キャスト全員が、初演メンバーを筆頭とする、
初期の頃の、イタリア人歌手たち、
という立場を維持していただくことです。
これは、本来私が意図していた完全版での演出としては、
舞台装置はもちろんのこと、衣装なども、
例えばバタフライの婚礼衣装は、和洋が体の右半分と左半分で混じっていたり、
ヤマドリの衣装は志村けんのバカ殿のようなメイクと衣装だが、
なぜか袴ではなく、フンドシ姿だったとか、
日本人が演出し、日本人がデザインしているにも関わらず、
わざと間違え倒したものにしてしまうわけです。

時代も錯誤していて構わないでしょう。
長崎の景色に富士山なんてのはもちろんのこと、
東京タワーくらいあってもいいし、今ならスカイツリーもありかと。

当然、日本人役のキャストが土足で家に上り込み、
日本人として明らかにおかしい所作をやってもらいます。
その一方で、外国人役については考証を正確にします。
英語の発音を除いては。

・・・と、このようなことは、ほわっとではできません。
ですから、これらのことはグッと影をひそめるわけですが、
しかし、発音などの点においてこれをやっていただきます。

テキストを、固有名詞であってもイタリア語読みしてもらうのです。
Nagasaki は当然「ながざき」というように。
英語もPinkertonが「ピンケルトン」なのは当たり前。
Butterflyが「ブッテルフライ」とまでならないのは武士の情けです。
つまり、日本のことなど何も知らないし、知る気もないくせに、
自分たちの観念だけで日本での出来事を演じているイタリア人、
というものを風刺するわけです。

念のため申し添えておきますが、
イタリア人を風刺しているだけではありません。
その裏には、各国の人に対して、特に先進国の人に対して、
お前らも同じじゃないのか、との問いが含まれています。

もう一度申します。
これはおそらく、最も過激な部類のバタフライでしょう。
人間としての習性、日本人としての習性も、
すべて非難対象として扱われるのですから。
そして、バタフライの死、という形で、
カタルシスを味わうことを、私は許さないのですから。

2013/04/26 03:54 | bonchi | No Comments