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少し更新の間が開いてしまいました.
自分的には、こなすような書き方でこのコラムを
書きたくないと思っているので、やっぱり日々の暮らしの
いっぱいいっぱいという現実の中では
ココロと身体のバランスをフラットに保つのが精一杯で
またそういうフラットな状態では、表現も言葉も
なかなか浮かばないものだな..と思いました.
体調を管理して、精神も律している状態は
社会生活を送るにおいては欠かせないものだけれど
気持ちの波…乱高下するココロ、衝動に駆られて
動き出す身体…ある程度気持ちの赴くままでいられる
時の方が、よりいろんなことを感じられて
カタチにできるときなのかもしれません
誰しも、波の無い人生などはないと思うから.
むしろそんな時こそがチャンスだと思えるくらいで
ちょうど良いのかな、と思います.
今回は「継続」するというチカラ、そしてそれがもたらすもの…
について書こうと思います.
日本のパンクバンドに「THE STAR CLUB」という
1977年結成に結成され、今年で36年目を迎えるバンドがあります.
幾多のメンバーチェンジがあり、オリジナルメンバーは
Vo.のHIKAGE氏だけになりましたが、このバンド(以下SC)は
36年もの間、アルバムを制作し全国ツアーを行う..ということを
一度もストップさせたことはない日本を代表するパンクバンドです.
僕はSCを18歳の頃知りました.
聴いたアルバムは1985年6月発売の2ndアルバム
「PUNK! PUNK! PUNK!」だったのですが
以来衝撃を受けてPUNK一筋・・・という訳では無くて
10代の頃はまだ他のメジャーのバンドたちの楽曲が
すんなりと耳に届いていた..というのが正直なところです.
・・・でも、バンドブームと呼ばれるもの…もっと大きな括りで言えば
日本の「バブル経済」が弾け四散して浮ついたなにかに覆われた社会に感じた、
沈む船からいち早く逃げ出す者、それでも美味しい思いを忘れられず縋り付く者、
華麗に転身した者、ただ傍観してそのまま船と沈んで消えた者たちが
織り成す百鬼夜行…10代後半から20代始めの僕の眼に写り肌に感じたものは
そんな慌てふためく大人たちと、街全体に漂う
どこか非現実的でふわふわしたような空気でした.
それは当時から学校放り出して通っていた博多のライブハウス、ホールも同じで
「オレたちについて来い!」「明日、また同じ場所で!」「ずっと路上で!」
そう叫んでいたバンドたちもまた、いつしか消えていなくなり
そこを根城に屯していた仲間たちもまた、ぽつりぽつりと去っていきました.
中には楽器や革ジャン、ブーツをあっさり捨てて「華麗に転身」した者の一人となって、
いわゆる「サクセス」を遂げた人もいて…
今となってみると、それもまた一つの生き方で、夢物語ばかりだけでは
現実と渡り合えないということや、社会的家庭的安定を維持することもまた、
大変な労力を要するということがもちろん今では理解できるけれども
まだ現実を知らぬ、その時を生きる僕らからしてみればそれは
「言ったことを守らないつまらない人たち」以外の何者でもありませんでした.
「まあ、どうせ人間なんてそんなものかな」…
そんな気持ちでいたところへ最終的に突き刺さるようなカタチで
僕の中で残っていたのが、SCでした.それは嵐が通り過ぎて
何もかも根こそぎ削り取られた原野の刺さる剣のように鋭く見えました.
メジャーもインディーズも、評価や注目されることにも関係なく
ただやりたいことをやりたいようにやる..やり続ける.
決して上っ面だけの言動などはなくて衝動のままに
ひたすらあるがままで在り続けそれだけを叩き付け続ける.
それと引き替えにするものがあるのも承知の上で…
僕は20歳くらいでSCのライブに初めて行ったのだけれど
その頃はただなんとなく毎日を生きていて
今よりずっと危険で暴力的なヒリヒリとしたライブハウスの空気を
怖いながらも感じつつステージを見上げる、未だ無目的で
No Futureな安全ピン少年の一人に過ぎませんでした.
なによりぽんやりとした将来のことや未来の暮らしより、
すぐそこにあるものの方がずっと大げさで重大なことでもありました.
そんなこんながあって僕は写真と出会うわけですが
かといってすぐに写真を仕事にするとか、作品として展示したりするとか
具体的なことは特に考えてはいなかったというのが正直なとこで
やがてそれは「衝動」となり、大学の図書館へ入り浸るようになり
無給のアシスタントとバイトでクタクタになりつつも動き続けながら
同時に空いた時間で路上へカメラを持って飛び出して
這いつくばるように「街」を撮っては暗室へ入り
誰に評価されるでもない写真を焼き続けては世間に毒づく…
それは写真を始めた時点で、僕の写真がどう見られるのか
そしてどこまで届くかにせよ僕の写真が
アウトサイドでしかないことは先刻承知のことでした.
それでもなるほど写真でもこういう位置で
こういうふうにできるのか、そう思えるのか
ならやりたいようにやってみよう、続けてみようか…
そんな日々を送る中で、ぐったりと倒れ込むように寝床へ入るとき
アシスタント先からバイト先へ..列車での長距離移動のとき..度々感じる
果たして今自分のしていることが未来の何かに結び付くのかという不安と迷い…
決心していたはずなのに、付きまとうような想いに見失いそうなとき
ヘッドホンから流れる、かつてはそれほど大きな意味を見出せなかった歌詞
85年の2ndアルバムの1曲目「Radical Real Rock」..
それは無目的に過ごしていた頃とは明らかに異なる意味を持っていました
生涯はまるで牢獄のよう
刑期を務める囚人生活
溜息混じりの思い口調で
詩人振ってあいつは言うぜ
ならオレは檻を壊し娑婆へ
死刑を待つ気はねぇからな
いつの間にか自分の周囲もまた大きな会社へ就職が決まった同級生や家庭を持ち、
社会へ根付いて暮らし始めた幼馴染みが現れ始め、皆が口を揃える
「いつまでも昔のままじゃいられない」という台詞に反発しながらも
意識せざるを得ない現実…
それを横目に見ながら、何かを追いかけるようになって初めて気付くのは
求める全てを得られるほど世の中上手く出来てはいない…
「お前が今やってることを信じて人生賭けられるのか 甘くはない」
そう呼びかけているようにも聞こえていました.
やがて、少年は大人になって、大なり小なり裏や表といろんなことを覚えながら
月日を重ね、その中で消え去ってしまうものもあって
僕もまた20代、30代そして40代と時間を経て行く中で
愛想笑いも社交辞令も覚え変わってしまった部分もたくさんあります…
だけどTHE STAR CLUBだけは変わらなかった
厳密に言えば変化したところはあると思うけれど
自分でもまさか40代になってもライブへ通うようなことになるとは
思ってはいませんでしたが、足かけ20年僕がいつもギリギリのところで
踏み止まれたのは「継続」して来た者だけが持つチカラがあることを
感じられる場所が毎年欠かさずあったからなのだろうと思えます.
2008年..この年はSCの30th anniversary.
僕はこのとき原因不明の変な症状が出始めていて
後にそれは思っていたよりずっと厄介なものだと判明するのですが
その時はまだ解ってはいなくて、身体に現れる異変と
それに対する大きな不安のただ中にいました.
ある日そんな想いをS☆CのFANSのページに綴りました
すると同じFANSの方はもちろん、決して言葉の多くはない
HIKAGE氏やメンバーからも声をいただきました.
そしてそれは「S☆Cの30thの博多でのライブを
FANS公式として撮影してもらえませんか」ということに
繋がって行きました.
むろんそこには闘病秘話とか励まし、美談というようなものは
存在しないし特別扱いで「頑張れよ」などということもありません.
ライブ当日、カメラを持ってステージとフロアの中間にいて
僕が感じたものは、互いいろいろあるけれど今日までやって来た
そしてこれからもやって行く..そんなごくシンプルな想いだけでした.
特別だと思ったのは、かつて将来さえ見えてはいなかった
10代の一少年が、20年という時間を経て、かつてフロアから
見上げていた姿を、今自分のファインダーの中に捉えている…
そのことの意味…それだけでした.
夢が叶うとか、憧れの場所へ立てたということではなくて
何度も何度ももう辞めようと思いそのたびに窮地を救われた耳慣れた楽曲たち.
そして自分の生涯賭けて追いかけたい何かが
見つかるその時まで変わらぬ姿勢で最前線たる場所に立ち続けていた
SCとの一瞬の交錯は「継続」していく中でしか出来ないことでした.
またそうすることでしか得られないものが在ると同時に
失くしてしまうものも確かに在って、たぶん止めてしまった方が
ずっと楽なこともきっとあったはずだと思います、
だけど彼らは「やる」こと選んだ..そして僕も自分なりに、
「やろう」とすることを選んだ上での、ほんの一瞬の交錯…
僕の新作までに掛かった10年はいつ諦めてもおかしくはない10年間でした.
だからこそ「継続」することの持つチカラを知って今再び、
「やる側」にいられることを大切にしていたいと思います.
勢いだけでも、どんな緻密な計算でも「継続」してくことは難しい
予測不能なアップダウン…そこを突き抜けなければ成り立たない
そんなバランスの上でやり続けられるか…
ギリギリ、切迫、それはこれからも続くたぶんずっと続くでしょう.
一度っきりの人生、やるか・やらないかで立ち止まるくらいなら
「やる」ことを選んで走り続けることを選びます
それで返ってくるものは期待したほどのものではないかもしれない
労力に対して見合わないものかもしれない、敗北を認めるしかないときが
くるかもしれない..それでも走り続けられるかどうかで
産み出すものの価値は変わってくるのだと思います.
勝ち負けじゃない、走り続け感じ続けることなんだと
現に35年そうしている人たちが側にいるのだから…