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制作手記7
「楽しい」の話。
作品を作っていて、「楽しい」とはよく聞く言葉ですが、 どのように「楽しい」のか、僕の場合について考えてみます。
今日、発展、研究、発表し尽された「美術」という分野において、その目的は、「表現する」です。 僕も平面絵画以外で散々色々な手段、方法を用いて、どのようにすることが自分の主題を表現するにあたり適切なのか考えてきたのです。
考えてきたのです。
しかし、この、「考える」はけっこう「楽しい」のですが、 それによって捻出したコンセプトを、具現化し、作品と呼べるクオリティーに押し上げるまでには、 当然ですが、様々な「実作業」が存在するわけです。当然ですが。
その「実作業」自体が、それほど「楽しい」ではない、「楽しい」が、体質的にもっと好きな作業がある、だとしたら、 それまで頭では最高だと信じていた自分のコンセプトが途端に色褪せていくのです。 というより、急に怖くなってしまうのです。僕は。
何が怖いかと言いますと、「口車に乗せられた感」に突然苛まれ、自分で捻出したコンセプトだというのに、 「クソッ!騙された!!空クジ引かされた!!二度とやらねえ!!」という気分になるんです。
うーん自分で書いててほんと頭おかしい。笑っちゃいますね。 あくまで僕の場合で、僕の人格にも問題があることなので、広く捉えないでください。
そんな具合で、僕の場合、「実作業そのものが楽しい」でないと続けることすらできない。 このことに気が付いて、色々と他の可能性を諦めるのに20年もかかってしまった。
では、僕にとって、絵における「実作業」がどのように「楽しい」のか。
それは、「考える」と「実作業」が交互に進行され、双方が完成まで絶えず繰り返されるというところ。 「実作業」が即座に制作中の作品に反映することで「考える」が生じるというループ。 この行ったり来たりな感じが「楽しい」のです。
前回「しんどい」と表現した途中の作業も、 「しんどいけど、その先に何かあるのがわかる。だから楽しい。」のです。
ちなみに、最高の状態に突入した時、交互に行われていたこの2つの事柄が完全に同時に行われるようになり、 体感的には何も聞えなくなったり、時間の感覚がなくなったりします。 で、なんかすごく幸せな気分になります。なぜか。ふしぎ。
今日は目と鼻を決めにかかった。
が、決まらなかった。もうひと含み欲しい。