制作手記6
描き方にも、描く人にもよりけりなので、あくまで僕個人のことです。
油絵っつーのは、描いていて楽しくなってくるまで、まー 時間のかかること。
描き出しは新鮮な気持ちで臨むのでけっこう楽しい。 アタリをとったり、
感覚的に色を乗せてふくらましたり。
そっこらがけっこーしんどい。 行ったり来たり、迷ったり、二の足踏んだり、無駄な寄り道したり。 モデルのことを考えたり、コーヒー飲んだり。
その辺りを抜けると、ようやく到達点がうっすらと見えてくる。
と思ったら、それは全くの「気のせい」で、到達点がまだまだかなり先だと気づかされ、愕然とする。
「なんか、山みたい。」と登山を始めてから思うようになった。
と、いうのは、山ってふもとからは山頂がよく見えるじゃないですか。で、ワクワクするんですよ。 しかし、登山口まで近づいてしまうと、自分がこれから到達するはずの山頂が障害物で目視できなかったりするんです。 特に、低山なんか木々が生い茂ってますから、「山頂はアレか?」くらいなもんです。 で、尾根に出て、目の前の隆起した部分を「山頂が見えた!」と思いながら登りあげると、
実際は尾根のちょいとした盛り上がりで、山頂ははるか先。 愕然。
テレビで見た話ですが、 日本人で唯一のヒマラヤ8000m峰14座 全登頂を成し遂げた、プロ登山家の竹内洋岳さんも、 同行したテレビクルーの人が山頂を眺めて、「近そうに見えますけどね。」と言ったことに対し、 即座に「今まで近いと思って実際近かった山は一度もなかった!」と応えてました。
「ほんとそうだよなあ。近くねえよなあ。絵もよう。」と心から思いました。
さて、クダもまいたことだし、気を取り直して筆をとりましょう。
前回、全体を繋げる意識で描き進めました。 単に人の顔の図像と考えれば、このままグイグイ描いても問題はないのです。
しかし、僕の場合、特定の、実際に存在する、僕の好きな人を描いているので、大問題が発生しています。
似てねえ。。
カタチが合ってないのも然ることながら、なんつうかニュアンスで似てねえ。
似せよう。なんとしても。
これは、モデルの彼を知らない人にはわからないわけだから、僕個人の問題です。 が、だからこそ、もっとも重要なことなのです。
どうしよう。
立体的にカタチを起こす際には不向きですが、こういった場合、 印象を即座に捉えやすいように、線で「説明的」に描きます。 つまり、目は目、鼻は鼻、口は口、というように。 日本人の得意分野ですね。
「説明的」という言葉が出たので、ちょっとだけそのことを。
「説明的な絵」、「説明的な作業」 絵の場合、あまりいい意味で使われません。
例:「上手いけど、説明的でつまらないよね。」
例2:「途中までよかったのに、説明的な作業が入った。それがよくない。」
と、まあ、卑下される「説明的」。
僕は、そんなことはないと思っています。 「うまく説明するのって、けっこう大変なんだぜ?説明をバカにするんじゃあない。」と。
似た。オシ。