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制作手記5
常々、思うことがあります。
絵画に対してのメディアの解説で、「こう描くことによって○○を表現している。」とか厳かなBGMに乗せて語られますが、 それってあくまでそうあって欲しいとか、そうあるべきだ、といった願望にすぎないと思うのですよ。
例えば誰もが知っている ゴッホ。 筆のタッチが見えやすいことと、晩年に自分で耳を切り落とした行為が有名なことで、 すっかり情念的な画家として印象付けられていますが、僕は全くの正反対だと思うのです。 画面に入る形や色彩の構成なんて、ものすごく神経質に計算し尽されていて、胃が痛くなりそうだし。
むしろ、写実に近い具象絵画を描く人のほうが、よっぽど気分屋で、 「なんかこうしたほうがいいから」みたいなノリであんまり考えず描いてるような気がしてなりません。 言い換えれば、あんまりクドクド考えていると、集中力の問題で写実寄りの具象って描けないんじゃないかと思います。
勿論、絵の描き方がそれぞれであるように、絵の見方もそれぞれなので、どう見るかは自由ですが、 解説としてというよりは感想としてあってほしいものです。
ちなみに僕の妻は、「日本人は絵を観たとき、無理やり感想を述べようとする。不自然だ。」という意見を持っております。 まさにそのとおり。さすが妻。
前回の段階ではノリに任せて描きすすめたのですが、色々がバラバラで、荒れた状態。 まだどこも決まっていない。決まる気配すらない。もちろんまだ決める意識ではないけど。
「決める意識」 これをどう考えるか。
人によっては描き出しの段階ですでに構成における各部分の関係性をピタリと決めないと気が済まないという意見もあります。 僕の場合は最初から決めすぎると次に予定している作業の失敗にビクついて上手く進められません。 なので、しばらくグチャグチャいじくってから決めにいくことが多いです。 今の段階ではまだだな。といった感じです。
に、しても荒れすぎているので、少し全体をつなげる意識で空間感を補正します。
背景はかなり明るくなる予定なので、その背景につなげる理由で、安直ですが全体の調子を明るくします。
うーん。
家でひとり、絵を描いていて、日が落ちていくと、世界に自分ひとりしかいないような気がしてこわい。
犬が吠えるだけでちょっとホッとしたりする。