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2013/03/12

制作手記 3

 

おおまかに色を置いた。 カタチを把握した。

明度が低い色の絵具を敷いた。 明度の高い部分を描き起こす際、明暗の差がハッキリしていたほうが、 作業の痕跡が判りやすく、そのことが気分を高揚させてくれるから。

 

実作業の量、質は変わらないが、ノッてくることが重要だったりするのです。

 

ちなみにこれはイニシエからの常套手段でもあります。 イエローオーカー(天然黄土)やテールベルト(緑土)など、土系の絵具を敷き、 その上からシルバーホワイト(鉛白)で明るい部分を描き起こす。 もっとも、このイニシエからの常套手段は僕の理由とは違い、材料学の見地からなのでしょうが、 きっと、先人たちのなかには僕と同じ理由な人もいたのではないかと思います。

また、無駄に我が強かった時期は、先人の知恵に従うのを嫌がって、 最初からキメキメでグイグイ最終層の意識で絵具を置いていた時期もありましたが、 最近は画面に含みが欲しいと思い、序盤はなるべく絵具や溶剤にまかせた描き方をしています。

 

実作業の量、質は変わらないが、ノッてくることが重要だったりするのです。

 

 

さて、描き起こす。

直接光の色、反射光の色、それらの境目の稜線の色、その3つに気を配る。 3次元の物体を2次元の画面に表現するのには、上記の事柄は必須で、 今まで何千回と繰り返してきた作業。

ここに書くまで、それほど意識したことはなかった。 こういった普段あたりまえに通過していく事柄を、 いざ書いてみると何やら気づくことがたくさんあり、 心と頭が忙しい。

制作をしていると、たくさんのことが頭をよぎる。 「純粋な2次元は存在しない。物体としての存在は不可能。」とか、 「2次元の表現の究極は色彩によるもの。誰も色彩を切り捨てることはできない。」とか、 「具象表現は絵というより図。」とか。 そのほとんどが一端の思い付きで、実際に描いている作品に良い影響を与えるものではない。 むしろ、やる気をなくさせることがほとんどだ。 一端の思い付きというのは、大概が疑問であり、その結論を理屈によって導き出すと、 僕の作品など、対外的には全く存在意義などなく、限りある時間を浪費していることにほかならないという結論になってしまうからだ。 地球環境について触れられるほど知識も関心もないが、資源の浪費でもある。

 

困ったな。

 

真面目にやればやるほどしんどい。

 

ノッてくることが重要だったはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2013/03/12 04:43 | fukui | No Comments