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あれから2年。
現地を訪れるということに賛否両論がある中で、震災直後の状況をどうしても自分の目で
確認したく、訪れた石巻市、南三陸町、気仙沼市、陸前高田市、大船渡市。
テレビに映ったあの光景が目の前にあるというのに、まるで戦場跡のような光景がどうして
も現実のものとして受け入れられなかった。
震災直後の気仙沼市においては、車中泊中に闇の中で震度6の強震に直面し、災害、津波
の再来に怯え、町の住民に混じって高台の公園へと非難をした。
自分の命さえ覚悟する程のやり場のない恐怖感は今でも忘れない。
2年がたった今、忘れていたことを思い出したかのように、しきりにメディアが伝えるのは
「復興」に向かう町と人々の姿、そして今も先の見えない闇の中をさまよい続ける人々の姿、
そして原子力の問題・・・。
これまで私達の社会は「より豊かになる」ことを求めてきた。
特に戦後の高度経済成長期を境に科学技術の飛躍的進歩がもたらした「快適な生活」という
ものが急激に人間社会を変化させていっただろう。
「早くて、便利で、モノに溢れている」ことこそが「幸せ」なのだと信じ、皆同じ道を目指してここ
まで歩んできた。
しかし、災害や事故による都市機能の麻痺が起こる度に人々はうっすらと気付き始めた。
便利で快適な生活は、人間をどんどんと弱い生き物へと変えてしまう要素を持っている。
そして、人間が科学技術を駆使して作り出したライフラインの核心に、実は大変な危険性
が兼ね備えられていることも身をもって実感した。
自然はいつも私達の社会に大切なサインを送っているような気がする。
例えば植生の変化や野生生物の生態系の変化にはなんらかの環境の変化が関係して
いる。
「私達はもっと、自然を大切にしなければいけない。」
「そして自然を見て、感じる感覚を養わなければいけない。」
「自然を支配しようとしてはいけない。」
人間は決してこの世の支配者ではないのだから・・・。」
これはある先住民の言葉。
今の時代、私達にとっての本当の「豊かさ」とは一体なんなのだろう・・・。
私達人間は何を目指し、どこに向かおうとしているのか・・・。
実はこの問いかけは僕の写真表現の意味合いに近い。
だから震災のことも、今の社会の状況も、決して無縁ではなく、僕にとっては
自然と深く繋がっているのだ。
震災以前からの様々な思いが、今もココロの中で駆け巡る。