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2013/03/07

こんばんは、酒井孝祥です。

“日本舞踊”と聞くと、皆様はどんなビジョンを思い浮かべるでしょうか?
僕が全く日本舞踊に触れていなかった頃であれば、顔を白く塗って着物を着た女性が、扇子を持って滑らかに動く姿などを思い浮かべたと思います。
なんとなくではありますが、ゆったりとなまめかしく動く様なイメージを持っている人が多いのではないでしょうか?
もちろんそういう踊りもありますけれども、中には動きが早く、リズミカルに踊られるものもあります。

僕が研究生だった劇団では、レッスンのカリキュラムの中に日本舞踊が含まれていました。
そして、僕の同期には、ミュージカル学校の出身者も多く、日本舞踊は初めてでも、ジャズダンスやバレエはバリバリに踊れる人もいました。

そういう人達は、洋舞と日舞の身体の使い方の違いに最初は戸惑っていた様子でしたが、そういう人達ほど、ある踊りのレッスンが始まると、口を揃えて楽しいと言いました。
それは「越後獅子」という踊りです。
テンポの良いリズミカルな踊りで、パートによっては、ジャズダンスの振りを踊っているのにも近い感触があります。

「越後獅子」とは、越後(えちご)という名が表す通りに、新潟県発祥の郷土芸能です。
お正月の獅子舞で見られるような獅子頭を少し小さくしたものを頭に頂いていることから、獅子とつくのでしょう。
主に子どもが踊る大道芸で、独特の装束を身につけた子どもが、太鼓を叩いたり、とんぼ返りなどの軽業を行なったりして、江戸時代に広く流行しました。
角兵衛という親方がいたらしく、「角兵衛獅子」とも呼びます。

江戸時代に人気を博した大道芸でありながらも、身売りされてきた子どもに親方が鞭を打って芸を仕込んだりすることが、児童虐待の象徴の様になり、明治期には廃れてきました。
昭和に入ると、児童虐待防止法が出来、営利目的で子どもに大道芸をさせること自体が禁止されました。
しかし、この独特な芸が失われてしまうことが惜しまれ、その後、お座敷芸として復活したり、現在にいたっても新潟の地元の小中学生が、郷土芸能として踊ったりするようです。

そして、大道芸として人気があった江戸期には、「越後獅子」をもとにした日本舞踊も創られており、今では「越後獅子」と言えば、日本舞踊の演目の一つとしての印象が一番強いかもしれません。

流派によって構成は変わりますが、僕が属する流派の場合、まず“前太鼓(まえだいこ)”と呼ばれる、お腹の前に固定させて叩く太鼓を2本のバチで叩きながらの踊りに始まり、太鼓を外しての道具を持たない踊りに続き、“綾竹(あやたけ)”と呼ばれる小道具を用いてバトンダンスかの様な踊りとなり、一本歯の下駄でタップダンスのような踊りの後、ラストは“晒し布(さらしぬの)”を両手にもって、まるで新体操のリボンを相当に太くしたかのようにひらめかせます。

「越後獅子」は、言わば大道芸を商売にした人を表現した踊りです。
日本舞踊では、他にも、「団子売り」や「松魚(かつお)売り」などの商人から、大名の奥方に仕える女性である「屋敷娘」など、特定の職業の風俗を作品化したものが多く存在します。

今度、酒井の通うお稽古場で、そういった、物を売る人々をテーマにした踊りばかりを集めた企画公演が行なわれ、そこで酒井が踊るのは、今回紹介した「越後獅子」です。
また改めて詳細をお知らせします。

次回は、「滑舌を良くするには…」(俳優道)をテーマにしたコラムをお届けします。

2013/03/07 10:58 | sakai | No Comments