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こんばんは、酒井孝祥です。
この度は、JunkStageアワード副賞を賜りまして、誠にありがとうございました。
これからも、皆様に少しでも古典芸能の魅力に興味を持っていただけるようなコラムを掲載していければと思います。
ちなみに、僕の下の名前の読み方は“たかよし”です。
昨年11月よりコラムの連載を開始させていただき、今回賞までいただくことになりましたが、連載開始に至るまで、ちょっとした悶着(?)がありました。
それは、JunkStage側から提案していただいた“古典芸能俳優”という肩書きが、酒井は嫌で嫌でたまらなかったことです。
その肩書きからは、古典芸能の技術をマスターした俳優であったり、古典芸能を専門的に行なっている俳優、言ってみれば本職の歌舞伎俳優さんや能楽師さんである様なイメージが感じられ、そういった方々に対して失礼にあたると思い、自分がそれを名乗ることに極めて抵抗がありました。
結局、自分の紹介欄に、“古典芸能に学ぶ俳優”という説明を入れることでOKを出すに至りましたが、この肩書きのことだけで須藤さんと何度メールのやりとりをしたことでしょうか…
結果的には、印象に残りやすいネーミングになったことかと思います。
さて、今回の受賞者に対するStaffさん側からのコメントに、
“歌舞伎、狂言、能、仕舞など日本の古典芸能についての高い専門性・濃い情報量を保ちつつ…”
とありますが、酒井は、“能”と“仕舞”に関しては、ほぼ知識がありません。
“高い専門性”とありますが、もし古典芸能の専門家の方がこのコラムを読めば、個人の主観が強いばかりで、知識的には非常に未熟であると評されることと思います。
僕が目指しているのは、専門的な内容ではなく、それまで古典芸能に興味を持っていなかったような人が、なんか面白そうだな、凄そうだな…と喰いついてくるような内容です。
それには、僕自身が、面白いな!凄いな!と感じた主観をふんだんにミックスしていきますので、“濃い情報量”であることは、確かに的を得ているかもしれませんね。
しかし、さすがに、自分の記憶の中にある知識ばかりを頼りに連載していくと、どんな誤情報を公開してしまうか恐くなってきましたので、今後はもうちょっと調べ物をした上でのコラム連載も心がけていきたいとも思います。
先日、日舞の稽古場で先生とお話をしていたときに、このコラムで伝えたいと思っていることを集約したような話題になりましたので、ここで述べさせていただきます。
日舞の動きの中に、幼い子どもの動きを表現したような振りがあります。
パチパチと無邪気に手を叩いたり、鞠をついたりするものなどがありますが、リアルな子どもは、実際にはその振りの通りそのままの動きはしません。
しかし、そういう風に動くと、たとえ大人が踊っていても、それが幼い子どもの動きに見えるのです。
どういう風に動けば幼い子どもに見えるのか…?
それを考えた昔のパフォーマーは、色々と思考錯誤したことでしょう。
そして、こうすれば子どもに見えるという型を作り上げました。
そして、その型が子どもに見える型として間違いないものであるということが、何百年もかけて検証されてきて、それが証明されて、今に残っているのです。
それは、なにも子どもに限ったことではありません。
男が女を演じるにあたって、いかに色っぽい女の様に見せるか…
怪力男を演じるにあたって、どうすれば細い身体であったとしても力強く見えるのか…
長い年月をかけて、そういったことに対する回答が得られた結果として、時代が変わろうとも廃れずに残っているものが古典芸能です。
古典の表現方法をそっくりそのまま使えば、もちろんそれは古典芸能にしかなりません。
しかし、その古典の技法の原型を知った上で、そこをベースにして、古典作品以外でも通用するような型にしたものと、全く古典の手法を知らない人が、自分の想像力だけをもとに作った型とでは、どれだけ説得力が違うことでしょうか。
全くのゼロの状態から新しいものを創り出すことはどんなに無謀なことでしょう。
先人が創り上げてきたものを学ぶことなしに、後々の時代にまで通用するような新しいものを創り上げることは無理でしょう。
だから、現代劇を演じる俳優も、前衛的な作品に出演するパフォーマーも、古典作品を知る必要があると思います。
そして、ここは日本です。
外国の芸術家がお金を出してわざわざ日本まで来ることを思えば、ずっと気楽に、日本の古典芸能に触れることが出来ます。
だから僕は、特に日本人の俳優に対して、「和に学ぼう!」と呼びかけたいのです。
次回は、「えちごの獅子」(古典芸能)をテーマにしたコラムをお届けします。