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2013/02/28

今回は、ちょっと大きなテーマに取り組んでみたいと思います。

音楽を続けてきたこと、続けることの意味を考えてみたいと思います。

って、好きで続けているだけなので、別段、大したことではない、という前提なのですが…。

まず、ぼくのトランペット歴を、ざっくりと振り返らせてください。

・小学校の4年生で、鼓笛隊に入り、6年生まで続ける。
・中、高は吹かず(ギターを弾いてバンド活動はしていました)。
・大学の『ジャズ研』で、本格的に始める。
・以後、なんやかんやと続ける。

(以後が、ざっくりしすぎですね…)

ちなみに、中、高の6年のブランクはとても大きなものでした。部活で6年間やってきた人との差は計り知れなく…。というより、大学で始めたときはほとんど初心者に戻っていた、と言っても過言でないです。なんとか音は出せる、というようなレベルでした。

ところで、実は、大学3年時の定期演奏会が終わったあと、トランペットはもうやめようと考えたことがあります。実際、2、3か月間くらいは、まったく吹かなかったと思います。

考えてみると「もうやめよう」と思ったことは、大学以来においては、後にも先にもこのときだけです。

このときやめようと思った理由は、全然上手くならないから、です…。

ぼくのいた大学の『ジャズ研』は、3年時の定期演奏会が終わると、一応、『ジャズ研』を引退することになるのが通例で、それを機に、やめようと考えた、ということでもあります。

定演の前の段階では、とりあえずトランペットをやめようとは思ってはいませんでした。

どういう形で続けるかはノープランでしたが。

ともかく最後の定演にすべてをかけて、最後の1か月は以前にも増してストイックに練習しました。

しかし、練習すればするほど調子が落ち…。

結局本番では、ほとんど音が出ない、に近い状態まで調子が落ちました。

1コーラス、まともに吹ききれない、という状況でした。

「やめよう」というよりむしろ「終わったな」という感覚でした。

このときの恐ろしいまでの調子の悪さの原因が、練習のしすぎにあったということは、今にして思えば、です。

調子が悪い→練習する→さらに調子が悪くなる。という悪夢のような毎日でした…。

定演後は、密かに打ちひしがれていました。

しかし、最後の定演がひどかっただけに、このまま終わっていいのかな、という気持ちもわいてきました。

せっかく3年間やってきて、プロになりたいくらいの勢いでやってきて(なれるレベルにはほど遠かったものの)、やっぱり、もうちょっと上手くなりたいな、と思い直したのです。

緩やかに、トランペットを再開しました。

そして。

もうちょっと上手くなりたい、しかしなかなか上手くならない…。

で,気がついたら、今年、もう47歳になるんですね…。

話しを一旦戻しますね。

大学4年のころは、『ジャズ研』の活動からは退きました(練習をしに部室には通っていましたが)。

社会人の、レゲエバンドのホーンセクションに入り、そのバンドがぼく自身の音楽活動の主戦場になりました。

もともと『ジャズ研』の友達が加入していて、面白そうだからぼくのほうから頼んで混ぜてもらった的な形です。

そのバンドは、ヘヴィなバンドでした(活動的に)。

週に1、2回リハがあり、ライブも月1のペースでやっていました。

で、大学を卒業するにあたって、今後をラッパを続けていくために、学校のそばの練馬あたりから、東急東横線の「多摩川園」という駅に街に引っ越します。

ラッパを続けるには大学のそばに住み続けるほうが練習場所の確保はしやすかったのですが、学生生活にけじめを付けたい気持ちがあって、大学から離れた場所で暮らそうと考えました。

10分も歩けば河原につける場所にアパートを見つけ、多摩川の河川敷を練習場所としました。

そのレゲエバンドの活動場所が横浜だった、ということも、東横線沿線に移った理由です。

このバンドはヘヴィでしたが、やりがいはありました。

当時、結構人気だった「イカ天」というバンド・オーディション番組にも2回出演させてもらうことができ(そのうち1回は、その週のチャンピオンにもなれました)、インディレーベルながら、出資者のサポートを受けて、1枚、CDを出すこともできました。

北海道や、関西にツアーに出たりもしました(クルマで移動するような強行ツアーです…)。

いろいんな意味で、良い夢をたくさんみれました。

しかし、やはり活動がヘヴィなのは社会人にはきつかったです。最初はホーンセクションも4人いましたが、1人抜け、また1人抜け…。

結婚して子どもが生まれる直前くらい(30歳間近くらい)で、ぼくもそこを抜けさせてもらいました。

…。

自分の音楽遍歴を振り返りながら、なんやかんやと音楽を、ラッパを続けてきた理由として『もうちょと上手くなりたかったから』と結論づけるつもりで書き始めたんですね。

しかし、書きながら、はたと気がつきました。

こんなことをいうと、いい歳ぶっこいて、ほんとお恥ずかしいのですが、続けてきた本当の理由は違うところにあった、と、ほんと、今、気がつきました…。

「夢をみ続けていたかったから」。

これ、まじです…(恥ずい…)。

そうなのか…。

それで、今まで続けてきたんだ…。

そうなのかな…。

自問自答する時間もほしいので、一旦、筆を置かせていただきて、後編に続きます。

後編は、本日中にアップします!

(って、今日中に2コラム上げないと、月4本のノルマ(自らに貸した)が達成できないからなので〜す…)

押忍。

2013/02/28 01:51 | ohta | No Comments