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エミネクロスがまだビジネス的にも不安定な独立翌年の夏に大事件が勃発し、それに巻き込まれました。その秋、1999年9月11日にあのワールドトレードセンターに自爆テロの飛行機が突っ込むという歴史的大事件が起きる、わずか1か月半ほど前の7月末のことです。
乗務員が亡くなるという世界初のハイジャック事件をご存知ですか?
日本でそれが起こり、私はそれに乗っていたんです。
羽田発の千歳行きのANA便でハイジャックに遭遇したのです。
全日本の車椅子バスケの合宿で札幌に向かう最中でした。飛び立っても一向に水平飛行にならずおかしいと思っていたら、機内放送でハイジャックをつげられ、機内は凍りつきました。わたしはコーチと一緒に1Fの後方席に座っていたのですが、明らかに大きく揺れて落ちていくのがわかりました。外の景色を見ているともうすぐそこに民家が見えて、あくまで印象ですが庭にいる人の顔がわかり目があってもおかしくないくらいの感じだったように思います。離陸と着陸以外の時にジャンボ機であんなに地面に近い経験などありません。本当に大丈夫なのかと思った瞬間に、大きく揺れながら急上昇。シートベルトをしてなかった人は座席から転げ落ちるほどの衝撃。
そして、その瞬間に機内放送でドクターコール。ハイジャック機の中でのドクターコール、いい状況であるはずありません。誰か他にドクターがいないか願っていましたが誰もいないようでどうしようか迷っていたら、隣に座っていたコーチがここにいますと手を挙げてしまいました。(超焦り…)スチュワーデスの方がすぐに飛んできて彼女に連れられてコックピットのある2F席へ。1階席のお客さんの中には拍手で見送る人もいました。まるで映画のようでした。
2Fに向かう間は私の頭の中は起こりうるさまざまな可能性、怪我による出血や負傷、心筋梗塞や脳梗塞などの急変、妊婦さんの産気づいた状態、子供の何か病気、などなどがよぎりました。2Fには犯人たちがいてピストルや刃物を持って立てこもっているんだと覚悟を決めながらスチュワーデスさんについて行きました。ハイジャックなど映画でしか知りませんし、その時間がとても長かったように今は思います。
ところが、2Fに行ってみると、わたしが想像していた光景ではありませんでした。コックピットのすぐ前で2人の男たちが1人は刃物を持ってもみ合っていました。どちらが犯人なのかよくわかりませんでした。訳もわからずにコックピットに案内されると、今度は私服の中年の男が1人で操縦管を握っていました。こいつが犯人の主犯格だなと思いました。そして、そのすぐ横のコックピットの床に血まみれになって倒れている機長らしき人物がいました。機長を挟んでそこにいたスチュワーデスさんはパニックでした。全面のガラス窓には血が飛び散り床も血の海でした。倒れた機長を蘇生しようと試みましたが、診察するとすでに亡くなっていることがわかりました。死亡診断を私がすることになり、この事件にいろいろと巻き込まれることになったのです。
わたしの役目は終わったと、まだドキドキしながらコックピットを出ると、1人の若い男の方がネクタイとベルトでぐるぐる巻きにされ一番前の座席に縛り付けられていました。2階席にはANAの方たちと、スーツの年配の男性と、先ほどもみくちゃになっていたもう1人の若い男性だけがいました。わたしは事情聴取その他があるため、その場に居残る必要があるとANAの方に言われ残されました。疑問は今操縦している私服の男性はいったい誰なのか?そこにいたスーツの男性に思い切って「何があったのですか」と尋ねてみました。
すると、離陸後すぐに今縛り付けられている若い男性が刃物でCAを脅し、副操縦士を外に出して、コックピットに機長と2人切りで籠ってしまったと。2階席にいた乗客は分かれて1階の空いている席に降ろされる中、自分は死んでもいいのでここに残ると言いはり残ったと。さらに他の乗客が1階に下りていくなかで、若い男性がいないといざというときに困ると判断し、声ではなく目で1人の若者に残ってくれと訴えたところその意味が通じその若者は友達がみな1階に下りていく中、1人だけ自分は残ると言って残ったそうです。
その彼が今、すぐ横に座っている先ほど格闘していてた今縛り付けられてない方の若い男性です。その状況でしばらく待っていたところ、飛行機の揺れは益々ひどくなり落ちて行ったと。そこに突然1階席から1人の中年の男性が2階に上がってきたそうなんです。そして、その男性が「あと2分以内にこの飛行機が落ちる!」「何があったのかわからないがとにかくコックピットに突入して操縦管を握って上昇させる」と。あとでわかったのですが、その方はたまたま休みでお客さんとしてこの飛行機に乗っていた全日空の機長さんだったのです。
1階の席から周りの景色の状況や落ちていく感じなどからあと2分しかないと判断したそうです。その年は長い梅雨でその日から晴れたのですが、もし雨が降っていたら外の景色が見えず、100%落ちていたと言われました。
その彼が2階にあがり、そこに残った若者に「2人で突入だ!」。お前が犯人、俺は操縦管、それだけ確認して突入したのです。そして犯人を引きずりだし、操縦管を引いて飛行機は急上昇。コックピットには血だらけの機長が倒れているのでドクターを大至急呼べと叫び機内アナウンス。
つじつまがやっと合いました。後でわかったのですが、飛行機が操縦不能になって地面すれすれの時にはいきなり操縦管を引いても、ジャンボ機くらいでかいと飛行機は上を向くものの落下していくそうです。急上昇と思ったのは勘違いで上を飛行機が向いただけで実はまだ落下していたのだと聞いて恐ろしくなりました。
さらに操縦管を引くのと同時にエンジン全開のボタンを押すのだそうですが、1人だったので操縦管を引き上げるのに精いっぱいでそのボタンを上手く手動では押せずに、オートで入るのを祈っていたと聞いて益々怖くなりました。
結局、あと数十秒のところでオートでエンジン全開となり墜落が回避されたとのことなのです。あの頃、飛行機は立川の住宅街の方だったと聞きました。墜落したら世紀の大惨事になっていたでしょう。
いろいろな奇跡のおかげで機長以外は全員無事、わたしもこうして生きているのです。まずはそのスーツの方が残ると言う判断をされたこと(無理やり降ろされていてもおかしくありません)、若者が目のメッセージに気づき残ってくれたこと(普通そんなの気づかないです…)、休みの日の機長が偶然にも乗っていたこと(まず乗ってないでしょ…)、その機長さんの判断が的確だったこと(感謝!)、その日の天気が晴れていたこと(奇跡!)、そしてエンジン全開ボタンがぎりぎりで作動したこと(ありえないでしょ…)。ありがたいを通り越して何でしょうか…。今の若者用語でしたら、やばいですね!
世間では1999年の大事件といえば、9.11ですが、私の人生の大事件もこの年に起こっています。エミネクロスを独立してまだまだ大混乱している頃の、本当の大事件でした。