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2013/02/18

終了を知らせるチャイムが鳴ると、なんだか急に春が来たような気がした。

勿論、それは気のせいだ。まだ寒いし、長くて短い試験期間が終わったことから来る条件反射みたいな連想にすぎない。後ろから解答用紙を預かって自分のものを重ねて回し、僕は伸びをしながら彼女の姿を探していた。
彼女はちょうど、前髪を止めていたピンを外しているところだった。

 

彼女とは図書館で知り合った。

資料のコピーをするために並んでいた時、遠慮がちに声を掛けてきたのだった。その本、終わったらかしてもらえませんか。なんだかひどく申し訳なさそうに言われ、一瞬何の事だかわからずきょとんとしたら、更に抱えていた本を指差された。それは指導教授が書いた美術史論の教材で、図書館には一冊しか所蔵されていないものだった。慌てて了承の返事を返すと、彼女はあきらかにほっとしたような顔をした。生真面目そうな表情が緩んだ瞬間、開け放してある窓から桜の匂いが吹き込んで来た。

そのときはそれで終わった。必修が一緒だったので、彼女の姿はそれからもたびたび見かけたが、自分から声を掛けることはできなかった。彼女はいつも友達と行動を共にしているようだったし、一人でいるときは前をまっすぐ見つめて、なんだか難しいことを考えているように見えた。彼女はなんのアルバイトをしているんだろう、とか、学食のメニューでは何が好きなんだろう、とか、そういうことを考えながら、僕はこの一年間彼女を観察し続けて暇をつぶした。僕自身は本当に暇な学生だったので、毎日勤勉に大学に通っていたが、彼女も相当でほぼ毎日その姿を図書館なりカフェテリアで見かけることが出来たのだった。

「出来ましたか」
「まあまあでした。そちらは?」

なぜか敬語で話しかけてしまったのだけれど、別に彼女は驚いた顔もせずに問いかえされてへどもどした。はあ、なんとか。それは良かったです。ものすごく他人行儀な会話をしつつ、他人なんだから当然かと思った。確かに僕らは他人なのだ。ただ一年間、同じ教室にいたというだけの、袖振りあうことすらない、赤の他人。そしてその繋がりもこの試験をもって終了する。春休みが明ければそれぞれの専修分野に進むから、おそらく彼女と同じ教室に座る機会自体がなくなってしまうだろう。

「何か、用ですか?」

言葉に詰まっている僕を不審に思ったのか、彼女は微かに語尾を上げて尋ねた。

「いや、今日で最後だなと思って」

僕は答えた。彼女は穏やかにそうですね、と返事をくれた。その流した前髪から、桜のような匂いがした。春の匂い。それがあまりにもいい匂いで、では、とすぐにでも席を立ってしまいそうな彼女と二度と話せなくなりそうで、僕は思いきってこう切り出した。

「打ち上げをしませんか。試験終了の」
「あなたと、ですか?」
「いけませんか」

こちらの剣幕に気圧されたのか、彼女は一瞬目を瞬いて、かまいませんよ、と頷いた。それから、少し笑った。
白い八重歯は花びらのようで、ああ、春が来た、とまた思った。
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*今回の画像は「Photolibrary」さまからお借りしました。

2013/02/18 08:24 | momou | No Comments