« 恋愛における携帯というツール | Home | エリン・ブロコビッチとジュリア・ロバーツと »
流行り廃りで語るべき問題かどうかはさておき、
「世界遺産」というカテゴリも、一時期のブームを超えて、
いまやすっかり定着した感があるような気がする。
「世界遺産」のお墨付きを得ることで、
観光客が倍以上に増えた例は数知れず、
世界遺産と観光開発はセットで語られることが多い。
「世界遺産」を冠したTV番組も数多く作られている。
が、世界遺産のその実は、
観光とは全く異なる、むしろ真逆の目的を果たすためのものだ。
ということをご存知だろうか?
その話をする前に、まずは世界遺産の基礎知識を学んでおこう。
世界遺産の概念は、次のように生まれたとされる。
1960年、エジプト政府はナイル川上流にアスワン・ハイ・ダムの建設を着工。このダムが完成すると、アブ・シンベル神殿を始めとする貴重なヌビア遺跡がダム湖に水没することになる。この事態を重く見たユネスコは、1960年、世界に緊急アピールを発表し、ヌビア遺跡救済キャンペーンを開始したのである。(中略)この国際協力による移築事業を通して、ヌビアの遺跡群が一国家の文化財と言う認識を超え、「人類共通の遺産(our common heritage)」という概念が生まれた。そして、そこから「世界遺産」という概念に発展したのである。
(出典/『世界遺産検定公式基礎ガイド』、毎日コミュニケーションズ、P37)
こうした運動が、巡り巡って、1972年、
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」、
通称、世界遺産条約へと結実することになった。
この世界遺産条約、今でこそ、
2009年4月時点で、世界186カ国が加盟しているが、
発効当初は、ヨーロッパの遺産ばかりが登録され、
・世界(の中で、西洋から見て貴重な)遺産、と括弧書きが透けて見える。
・東洋、あるいはアフリカなどの文化を下に見る傾向がある。
などと、批判の的になったこともあったようだ。
ちなみに、日本の批准は1992年、世界で125番目と遅い。
その理由には諸説あるようだが、下記が最も説得力がある気がするので、
蛇足かとは思うが、念のため引用させていただくことにする。
一つだけ、ヒントがあった。日本列島改造計画の推進時期と同時期だった、ということである。証明する証拠があるわけではないが、これならば納得が行く。
日本列島改造計画は、日本各地の山を崩し、海を埋め、土地を掘り返し、道路、鉄道、空港建設、巨大な建築物などが次々と建設される推進力となった。(中略)文化財の可能性のある埋蔵物に出くわすと開発事業者は大変なことになる。その保存のために長時間の調査を行い、場合によっては建設工事、土木工事を中止、計画そのものを断念するケースも多々あった。世界遺産条約はそのさなかに、持ち上がった話である。時の宰相で、列島改造を使命とした田中角栄内閣は、「この上に、開発を遅らせる条約に参加するとは何事か」と反発した、と想像するのは無理なことだろうか。
(出典/http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/keyword/20080824/comment.htm)
………………………………………………………………………
さて、本題である、世界遺産と観光について改めて整理しよう。
現在、全てとは言わないが、大半の世界遺産が、
観光と一体不可分なモノとなっているのは周知の通りだろう。
もちろん、観光から得られる収入が、
遺跡の保護という目的に資する部分が少なくない。
そう、あくまでも保護が目的で、観光開発はその手段だ。
しかし、いつの間にか主従が逆転してしまい、
観光客を呼び込むために「世界遺産」の称号を欲する、
という面が少なからずあるのではないか。
確かに、観光地化することで、保全費用の捻出の他にも、
雇用の創出などの二次的な利得を手にする可能性がある。
その一方、
観光客の増加は、現地の人々の生活形態を大きく変化させ、
結果的に、当該遺産に深刻なダメージを及ぼす危険性も孕んでいる。
………………………………………………………………………
ここで、少しブータンの話をしておきたい。
ブータンは、2001年、世界遺産条約を批准した。
ただし、世界遺産として登録された数は、いまだゼロ件。
世界遺産として推薦するために、各国がユネスコに提出する暫定リスト、
というものがあるのだが、その暫定リストの件数もゼロ。
つまり、今のところ、ブータンは、条約は批准したものの、
世界遺産として自国の財産をアピールする意欲は持っていないようだ。
もちろん、そこには様々な思惑が絡んでいるのだろうが、
安易な観光開発手段として「世界遺産」を利用しよう、
という意図は、どうやらあまり見受けられない。
例えば、先の旅で訪れた「タクツァン僧院」など、
世界遺産に値してもおかしくない、史跡があるにもかかわらず、だ。
http://www.junkstage.com/fujiwara/?p=49
………………………………………………………………………
閑話休題。
そうは言っても、かくいう自分自身、
旅をするときに、「世界遺産」を全く意識していない、というと嘘になる。
世界遺産=凄いモノ、なんて、100%鵜呑みにすることは無いまでも、
ある程度の指針にしていることは間違いない。
ただ、そういう打算的な見方への自省もあって、
「世界遺産」について少し学んでみようと思い立ち、
昨年、世界遺産検定2級なるものを受験してみた。
http://www.sekaken.jp/
そこで見えてきたのは、
結果的に観光に利用されている「世界遺産」の実態への違和感だけでなく、
そもそもの「世界遺産」の理念全てに共感できるわけではない、ということ。
どういうことか。
あくまで私見に過ぎないが、
文化遺産は、百歩譲ってわからなくはないが、
自然遺産は、勝手に人類が評価していいようなものなのか。
という強い疑念が浮かび上がってきたのだ。
世界遺産とは、
「人類が共有すべき顕著な普遍的価値をもつ不動産を指す」、
という定義付けがされているわけだが、
その「人類が」という部分にひっかかりを覚えるのは、
穿った見方をしすぎだろうか。
つまり、地球が長い年月をかけて作り上げてきたものを、
人智を超えたものを、ヒトがその価値を認めて、守ろうなんて、
おこがましい話以外の何物でもないと思うのだ。
仮に、自然が、人災によって壊されようとしているとして、
それを守るのは、その自然が「人類の宝」だからでは無く、
人類の恥ずべき痕跡を残さないため、でしかない。
そういう意味では、自然の景観を、天災から守る、なんていうのは、
恐ろしいほどの自己矛盾を孕んでいるように思われてならない。
天災は、人類にとっては災害だろうが、自然にとっては、
あくまでも、それをひっくるめて、自然、と呼ばれるべき現象のはずだ。
………………………………………………………………………
とまあ、なんだか随分と話が大掛かりになってしまったが、
「世界遺産」は、その本質的な意味の部分において、
これから大きな転換期を迎えることになるだろう。
無限に登録数を増やしていけば、それぞれの価値が薄まるだけだし、
かといって制限してしまえば、新しく生まれる価値を否定することになる。
文化と自然、という問題にも、いずれメスが入っていくことになるだろう。
そう、きっと遠くない未来に。