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2012/12/31

めぐり逢えたら
【Sleepless in Seattle】
1993年

メグ・ライアンとトム・ハンクスと言えば
文字通り一世をフウビした王道ラブ・コメのコンビ。

でも調べると実際に共演しているのはこの『めぐり逢えたら』と
以前コラムに書いた『ユー・ガット・メール(1998)』、
それと私も見たことないが邦題が「ジョー、満月の島へ行く(1990)」の3本。

不思議なことに私の頭の中ではかなり多数の作品で共演してることになっている。

しばらく見ていなかったので忘れていたけれど、
この『めぐり逢えたら』のそもそものストーリーの始まりは、
奥さんを病で亡くした父親サムを心配した息子ジョナが、父親には新しい奥さんが必要、
(つまりは自分にとっては新しい母親になるわけで)
と、精神科ドクターがナビゲートするラジオ番組に電話する。

不思議なことだ。ジョナにとっても実の母親を亡くしたことになり、
父親と同じくらいに母親を失ったことは辛いはず。

それを打ち消すほどに父親の状態を心配したのだろう。

心配して気遣う周りの人から解放されようと思ったのか
主人公サムは妻との思い出の土地シカゴを離れシアトルへ引っ越しを決意する。
旅立ちの日に『そのうち きっと すてきな女性に出会うわ』という友人の女性に
サムは自嘲気味に相打ちを打ちつつ、結局は妻の代わりはいない、と言う。

それどころが原文だと、そんな出会いは金輪際2度目なんてないんだ、と
出会いの可能性すら否定してしまっている。

そうだな 前向きに生きよう
ハートを入れ替えりゃ いいのさ
(女性とその夫が慌てる)
分かってる 代わりは いない

Right… right. Move on. Right. That’s what I’m gonna do.
And then in a few months, boom, I’ll be fine. I’ll just grow a new heart.
(Woman: Sam I’m sorry.)
(Her husband: She didn’t mean that.)
I know, I know. Look, it just doesn’t happen twice.

そしてジョナが心配するにはもっと深刻な訳があり
サムの傷心はもっと内面深いものである。

ラジオ番組での会話で、ドクターが『夜は寝ているのか』とサムに聞く。
すると息子が割り込み『全然寝てない』と即答する。
何でそんなことを知っているのか?と聞くサムに、
字幕では『分かるさ』と息子が答えるが
原文にはその“なぜ”がちゃんと言及されている。

ジョナ: 全然寝てない
サム: なぜかそれを?
ジョナ: 分かるさ

Johna: He doesn’t sleep at all.
Sam: How do you know that?
Johna: I live here, Dad.

分かるさ、だって同じ家に住んでるんだよ、父さん、と。

この会話はドクターに電話口に呼び出されたサムと
同じ家にいながら、直接話しができないからと、
子機で同じくラジオ番組に参加するジョナ、という具合に行われる。

それほどデリケートな話で、それほどジョナにとっては深刻で
そして同じ家に住みながらサムにはそれが見えていなかった、ということ。

子供にとっての親とは、を感じる重みのある一節である。

ちなみに原題の『Sleepless in Seattle』はこの一節から、
サムのラジオ上で付けられたニックネーム。
和訳だと“シアトルの眠れぬ男性”としているが、英語に男とも女とも言っていないのが、
サムとジョナのそしてラジオ視聴者の皆の共有する気持ちっぽくて尚更いい。

2012/12/31 11:58 | masaki | No Comments