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「なんでもアリ」
無限の可能性を纏う甘美な言葉。
その先に待ち受けるのは開拓か、はたまた混迷か。
皆さまこんにちは。 クリスマスも無事通過ですね。
大晦日への盛り上がりって、クリスマスなんかより ずっと楽しくないですか?もちろん正月よりも。
今回は「支持体」について書きます。
聞きなれない言葉ですよね。[しじたい]です。
支持体っていうのは表現作業を施す対象物のこと。
解り易く例を挙げますと、
・油絵→キャンバス、パネルなど。
もう少し踏み込んで考えると、例えば、 写真の場合は被写体でありカメラであり印画紙であり、 音楽の場合、曲であり、楽器であり、ホールなわけです。
このコラムで言えばjunkstageというウェブサイトが 支持体というわけです。
大きく捉えれば表現媒体ですね。
と、ここで、表現したい人たちはそれぞれ考えるのです。
「どんな支持体が、自分の主題を表現するのに最適なのか。」
もちろん僕も例外ではなく、たくさん考え、色々とやらかしました。
10年程前のことになりますが、僕は「人物」に対しての表現を模索中で、 平面表現から立体表現、インスタレーションを経て、再び平面へ移行しようと考えていた時のことです。
作業性を重視したいから、パネルを自作して白亜地や石膏地を施そう。 そのほうが画面の凹凸がなくなるから細部の描画作業が楽だし。 いやいや、そんなことじゃない。表現対象は固有の人物なのだから、 モデルの何かエッセンスが欲しい。そうだ! その人の着てる服に描かせてもらうってのはどうだ!? …なぜ服なんだ?そこにやたら意味合いが生じてしまう。ダメだ。 僕が表現する手段として描いているものは何だ? モデルのカタチ。そうだ。ぼくはモデルのカタチを描いている。 それ以外を排除してみたらどうだろう。 排除か。 おし!!背景をなくしてしまおう!支持体をモデルのカタチにしてしまえばいい!! それだ!!
だって、「何でもアリ」だもの!!
そんなで、できたものが上の写真です。 板にモデルの輪郭を描いた時点で、その輪郭に沿って糸鋸で切り抜き、 綿布を膠で張り付けた上から石膏地を施し、それを支持体にしてモデルを描写。
……な、なんかちがう。。 支持体の形状ばかりが気になってしまって、 肝心の表現したい「モデルの何か」がまるで見えてこない。 そのうえ、支持体を作る作業が大変過ぎて、描画の段階ではすでに 疲れしまっていて、やっつけ作業で描いている。 いったい、何がしたかったのやら。
案の定、これを展示した時のお客様の反応は、
「わぁ。トリックアートみたーい!」
そうですね。僕も同じ感想です。
大失敗。
思い付きで正解が出るほど簡単なものではないことを 思い知らされた一件です。
僕のしたいことは人物を表現することであったのに、 軽薄な思い付きで、横道に逸れ、独自性を見出したと勘違いしたのです。
その背景には、すぐに答えを出さないと気が済まないという根気の無さや、 何か人と違うことをやって目立ちたいという雑念があったのです。
集中するべきことは、描くことだったのです。 なので、支持体について考えるにしても、
「描いててイイ感じか、そうでないかを吟味する」で充分だったのです。
描いて表現したいのですから。
その後、
画面に筆を置くときに跳ね返る力が欲しいと思い、 やはり板で自作したパネルより、布を木枠にピンと張ったもののほうが描きやすいと感じ、 木枠にピンと張った布に石膏地を施そうと考えると、
「それってキャンバスじゃん!!売ってんじゃん!!」と気づき、
それなら、木枠とロールキャンバス買って、好きな大きさに張ればいい。 僕が描くのってほとんどモデルの顔だけだし、実寸で描くわけだからF10号くらいがちょうどいい。 などと考えていると、さらに、
「張りキャンバスじゃん!!張った状態で売ってんじゃん!! 木枠とロールキャンバスとタックス(釘のこと)とキャンバス張り器と玄翁買って、 僕が自分で張るより上手に張ってあるのが売ってんじゃん!」 という驚愕かつ当然の事実を再確認。
そんなわけで、 僕の絵による表現に最適な支持体は、
「中目張りキャンバスF10号(縦使い)」です。
考えてみれば、油彩の支持体として、キャンバスの歴史は約600年。
600年もの間、油彩の支持体として代表を務めているわけです。
先人たちの知恵や経験の結果、それなのです。
変な支持体作ってアドリブ効かしてる場合じゃないわな。
「なんでもアリ」
無限の可能性を纏う甘美な言葉。
なんでもアリのアリ地獄。