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1999年10月7日、僕は当時持っていた
自分のサイトの日記にこう記しています。
「ネガが見つからない、ミツカラナイ、、
大切なひとを、一番綺麗に撮ったネガが、見つからない。。。
今それをプリントすることが、オレには許されていないのだ。
だから見つからないのだと思う。
もう永遠に見つからないネガフィルム。それでいいのだとも思う。 」
・・・唐突に始めてしまいましたが2012年末の今
僕はそのネガを保管・所有していることが
つい先日のネガフィルムの整理で判明しました.
これはほんとに思わぬことだったけれど
15年が過ぎた現在の自分からその当時の、
初個展〜東京での初個展までの作品創りを考えてみると
それはかけがえのない、そして取り返しの付かない線を行き来しながら
言ってみれば「創りながら失っていた」日々が垣間見えてきます…
当時の僕の作品の撮り方…創り方と言った方がいいかもしれませんが
それはまずアタマに浮かんだイメージを雑なラフとして起こして
そのラフを元にして小道具を集め、ロケ場所を設定し…と
今とはちょっと違ってすごくコンセプト重視なところがありました.
僕の初個展となった「自我の灰色」もまた、まずコンセプトというか
最終的な展示形式がまずありきでの撮影、制作、展示になっています.
種明かしをしてしまえば、当時まだ新しかった大判デジタル出力の一枚を中心として
普通に額装した作品と「手を加えた作品」が
合わせ鏡のように対称に配置しつつ展示しています.
その展示形式そのものと写真に手を加えたことに対して
人によって濁りや汚れを感じるという意見もまたありました.
でも大事なことは別のところにあります.
この「自我の灰色」は、一人の少女..(特にそう明記はしていませんが)が
ストーリーテリングの役割を担いながらドアを開ける…または閉めるところから始まって
様々な経緯を辿っていくような…やはり特に物語を明かしてはいないけれど
観る側が何かしら物語的なものを感じるように
意図的に仕向けている…そんな見せ方になっています.
・・・と同時に僕(作家側)としても創作、展示という過程の中で
ずっと自問自答していたことがあって
それは冒頭の「大切な人」…
それを撮ることを当時の僕は深く考えたりはしなかったけれど
ストーリーテリング的な役割を課して撮り進めていくうちに感じつつあったことは
「大切な人であることは間違いない..けれど
自分はどうしてその大切なものをこう撮るのだろう…
大事に想われているそして大事にしたいのは間違いないのに…」
ここで僕のプライベートを綴っても仕方無いので割愛しますが
愛している、愛されている…そのことを自覚しながら
作家としての僕と、ストーリーテラーとしてのその人は
痛み、切なさの深いところへと一体になって創り進めて行くように見えながら
実は既に互い別の道を進み始めていたのだということに
僕はずっと後になって思い知ることになるのですが…
僕はいつも個展を開催するとき、一篇だけ言葉…というか詩を
付けることにしています.これはその「自我の灰色」のものです.
もしこの語り部となる少女がその場限りの被写体さんであれば
このような詩編は書かなかったと思うし
互いの想いを知っているが故に創れたものがあることもきっと事実でしょう.
そんな展示の、その最期の一点を決めて、そして撮ったとき
僕は取り返しの付かない、決して癒やし赦されることの無い
決定的な傷を自分…そして真の物語の語り手に負わせることに
なってしまったのだということを当時の僕は気付くことができませんでした.
この一枚に登場している二人は僕自身と冒頭の「大切な人」.
写真で上へ…より痛く、切なく、より強烈なものへ
夢であったはずのものが野心や邪心さえも自分中に芽生え始めていたこの頃…
足元など見る余裕も心遣いもなくナイフを持って立つことしかできない
そんな僕がいて、「どうだ痛いでしょう」と知ったような顔をする.
けれどほんとうの痛み、傷、切なさを知り
それを持ち耐えることの強さと意味を理解していたのは
誰だったでしょうか・・・
物語の語り部として登場させたはずの大切な人は
僕が語らせようとする物語以上のものを
写真の中…声は無くとも語っていたのではないかと思うのです
それはいつだって通り過ぎてから…
もう手が届かなくなってしまって
初めて気付くことしかできなかった
あの頃の僕とあの頃の写真.
あの頃は聞こえなかった声
今は少しだけ聞こえるようになった声
ずっと見つからなかったネガは
もう綴じたファイルから出ることはないだろうけれど
ずっと見つからないままよりは良かったと
そんなふうに思っています.
この個展「自我の灰色」並びに「自我の灰色-Tokyo Edition-」
この作品にはたった一人のストーリーテラーが登場するのみです
そして2013年、その物語の完成形を僕は創り出すことができるのでしょうか.
かつて大切な人が語ろうとし、届けようとした想い以上のものを
僕は持つことができるようになったのか
それが明かされる年になりそうです.
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少し感傷的になってしまいました
これが今年最後の更新になるかと思います.
来年もどうぞよろしくお願いします。
古賀英樹.